経済学と社会学と歴史学への招待『社会科学における人間』
本書『社会科学における人間』は、社会科学における人間類型(これは、「ある時代のある国民が全体として特徴的に示す思考と行動の様式、そのタイプ」と説明されている、ウェーバーのいう「エートス」のようなもの)について概説したものだ。著者の大塚久雄氏は、戦後の経済史学の泰斗、ウェーバーの社会学とマルクスの唯物史観を基にした「大塚史学」で有名だが、そのエッセンスは本書にも取り込まれている。本書は、一般向けの新書であるが、なかなかに中身が濃い。
「ロビンソン的人間類型」と近代経済
前半は、デフォーの小説『ロビンソン・クルーソー』の主人公クルーソーに見られる「ロビンソン的人間類型」を手掛かりに、近代的経済関係の成り立ちから、マルクスの「商品の物神性」までを旅する。これまで小説家としての顔しか知らなかったが、実はデフォーは、新聞記者として政治経済的な著述も多く、『ロビンソン・クルーソー』も純然たる小説と言うよりも、冒険商人ではなく堅実な中産的生産者たる「ロビンソン的人間類型」を模範的人物像として提示する、という意味合いもあったものらしい。
小説を読んだ時は、孤島で暦を記録し、損益計算までしてしまうクルーソーを、(漂流記の主人公としては不自然なまでに)近代的・合理的だと思いつつ読み流していたのだが、それだけのものではなかった。この「ロビンソン的人間類型」は、後に骨と皮だけになって近代経済学の合理的経済人(ホモ・エコノミクス)となるのだが、元はと言えば、17世紀の終わりにイギリスに誕生し、農村地域で毛織物等の中小規模の工業生産を担った実在の人間類型だったのだ。
近代的・合理的な経済社会の誕生
中盤あたりから、だいぶレベルが上がってくる。最後のウェーバーのところは元の学説が難解なだけに、かなりの注意を要する。ただ、著者が再三「これはかなり単純化してある」と注意しながらも、大胆な輪郭を示してくれるおかげで、電車の中で読んでいてもついていける。中でも、なぜ近代的・合理的な経済社会が西洋に誕生したのか(呪術からの解放がなされたのか)、宗教との関係で説明した件は印象に残る。
儒教は現世肯定かつ営利是認でありながら、その担い手である上流階層が旧来の俗間宗教を利用して統治しようとしたために、呪術を排することなく合理的世界に入らなかった。これに対し、ヒンズー教もキリスト教も現世拒否だが、ヒンズー教はカースト制で最上層のブラーマンが作った教義で、上位のカーストに移れるのは輪廻で生まれ変わる時だけで、それは現世でカースト秩序を守ることによってのみ叶うというのだから、やはり保守的だった。他方、キリスト教は虐げられた民に広がったため、「神の国」到来の過程で(つまり現世で)成果を上げることが「選ばれた者」であることの宗教的証明とされ、現世改革につながった。
カーの『歴史とは何か』にも比肩
本書はもともと、NHK教育テレビの大学講座25回分を編集・加筆して書籍化したものである。1回分が9頁弱であるから、おそらく30分の番組だったのだろう。現在、こういうものは見当たらないが、いずれにしてもテレビで(放送大学ならともかく)これだけの内容のものが放送されていたとは驚きだ。
有名なE.H.カーの『歴史とは何か』もケンブリッジ大学の連続講演であったが、あれほど高密度の話を耳で聞いただけで理解できた人がどれだけいたかは疑わしい。それに比べると、本書は、やはり内容豊富ではあるが、放送でも理解できるよう噛み砕かれている。本になればなおさら。読まない手はないと思う。
社会科学における人間
大塚 久雄 著
岩波書店(岩波新書)
ロビンソン・クルーソー 上/下
ダニエル・デフォー 著
平井 正穂 訳
岩波書店(岩波文庫)
歴史とは何か
E.H.カー 著
清水 幾太郎 訳
岩波書店(岩波新書)









