罪と償いと復讐と超越の物語『恩讐の彼方に』

文学,青空文庫

 本作『恩讐の彼方に』の作者は、菊池寛。文芸春秋を創刊したり、芥川賞・直木賞を創設したりと、作家としてばかりでなく、実業家としての顔もまた有名である。本作は、作者が人気作家へ向けてスタートを切った出世作であり、また代表作の一つでもある。わずか31歳で本作のような重い作品を書くだけあって、若いころから英才であり、かつ苦労も舐めたたようだ。

市九郎と了海と禅海

 本作の主人公の市九郎(後の了海)は、主人の妾と通じたことを咎められて主人を殺してしまう。その妾と一緒に逃げて峠の茶屋と追剥ぎで生計を立てるが、ついに居たたまれなくなって出家する。贖罪のため諸国を放浪するうち、多くの旅人の命を奪ってきた難所で洞門の開削を決意する。そこに、復讐を誓う主人の子実之助が登場する……。
 本作の市九郎は、実在の僧である禅海がモデルとなっている。もっとも、史実としてあったのは、禅海が九州耶馬渓にあった交通の難所に青の洞門を開削した、ただし自らの手でというわけではない、ということだけであるから、作品の肝心の部分はほぼ創作ということのようである。

市九郎を救った「数勘定」

 作者は後に、大衆を意識した作品に力を入れるようになる。この作品も情感に訴えるところが強すぎるきらいはあるものの、ともかくストレートである。洞門開削という大誓願を決意する時の数勘定のところなど、市九郎の感激が直に伝わってくる。

 市九郎は、自分が求め歩いたものが、ようやくここで見つかったと思った。一年に十人を救えば、十年には百人、百年、千年と経つうちには、千万の人の命を救うことができると思ったのである。

 10人殺しても代わりに10人助ければ良いというものではないが、既に多数の人をあやめてしまった市九郎にしてみれば、このような功利主義的な数勘定にでもすがるほかないということだろう。10人でだめなら100人、100人でもだめなら1000人ならどうか。それでもだめかも知れないが、その可能性が見えた時の喜びはいかばかりだったろう。

人間はすべてを超越できるか

 本作は、罪と償い、それに復讐が絡んでくる。だが、最後の最後は、そういうこと一切が超越されてゆく。主人を殺したことも、追い剥ぎを繰り返したことも、浄願寺の上人に救いを求めたことも、洞門を掘って贖罪しようとしたことすら、意味をなくしてゆく。ただ、憑かれたように掘る。「恩讐の彼方に」とは、そうしたことすべてを超越したということだろう。

深夜、人去り、草木眠っている中に、ただ暗中に端座して鉄槌を振っている了海の姿が、墨のごとき闇にあってなお、実之助の心眼に、ありありとして映ってきた。それは、もはや人間の心ではなかった。喜怒哀楽の情の上にあって、ただ鉄槌を振っている勇猛精進の菩薩心であった。

 それでも、凡俗の人間は、やはり人間的なところに目が行ってしまう。本作では、最後に人間的な意味でも光が差したのだが、実之助がもし殺された主人の子ではなく、父親を失った不幸な友人の代役であったなら、同じ結果になっただろうか。あるいは、まだ復讐の炎が収まりきらないうちに了海が死期を迎えてしまい、了海から「さあ、自らの手で大望を果たすのだ」と迫られたとしたら、実之助はどうしただろうか。大方の読者はついてこれなくなるだろうから、作品としては成立しないだろうが。


恩讐の彼方に・忠直卿行状記 他八篇
菊池 寛 作
岩波書店(岩波文庫)


本作は、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/cards/000083/card496.html)に入っている。

書評

Posted by admin