実はそれほど信用できない『写真の読み方』

芸術

 写真はそれほど信用できるものではない。加工による偽造が出来てしまういう話ではない。写っているもの自体は正しくても、写真の「意味」はおいそれと信用できないということだ。写真は「真」を「写」すと書くが、それはいつかどこかでそのような一瞬があった、というだけのことである。それがいつなのか、どこなのか、そのような一瞬が何を意味するかは、写真そのものが語ってくれるわけではない。極論、未成年の芸能人が酒瓶を手にしている、というようなものであっても。

 だから、本書が指摘するように、写真はキャプション次第でいかようにも読めるようになる。そのキャプションが真実なのかどうか、写真そのものが語ってくれるわけではない。残念ながら、戦場で子供が逃げまどっている報道写真も、親に怒られて逃げ出した子供の写真とその写真自体から区別がつくわけではない。それを区別しているのは、キャプションであり、それが写真の「意味」を決めている。写真の受け手は、編集者が勝手に書いたのかも知れない、そのキャプションを信用するしかない。

 生成AIの登場で、写真はますます信用のならないものになるだろう。しかし、文書であればこれまでも、いかに出来が良くても相当に注意してきたはずである。出所が確かでないものや、内容があまりに衝撃的なものは、「怪文書」扱いしてきたはずある。むしろ今までが写真に甘すぎたとも言える。写真も文書と同じように警戒するというのが本来だったのだろう。尋常でない言明には尋常でない裏付け証拠が必要だ、というカール・セーガンの言葉を思い出す必要もあるだろう。


写真の読みかた
名取 洋之助 著
岩波書店(岩波新書)

書評

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