常識を覆すゲノム革命の力『交雑する人類』

社会,歴史,科学

 本書『交雑する人類』は、ネアンデルタール人のDNA解析にも携わった古代DNA解析の第一人者の手による新たな人類史である。その中心には、これまでの考古学や人類学の定説を覆す成果を出し続けている「ゲノム革命」がある。とにかく、本書を通じて、うるさいくらいに「ゲノム革命」が出てきて、その強力さが語られる。

「ゲノム革命」とその成果

 これまで、人類の進化や移住を追おうとすれば、人骨の特徴や遺跡に頼らざるを得なかった。女系のミトコンドリアDNAや男系のY染色体など、ゲノムをを用いる方法もあるにはあったが、時代を十分に遡ることができなかった。それが、全ゲノムを使って(しかも高速かつ低コストで)分析する方法が開発され、研究レベルが飛躍的に向上した。これが「ゲノム革命」だ。
 この「ゲノム革命」により、ヨーロッパでも、インドでも、アメリカでも、東アジアでも、従来考えられていたのとは比較にならないくらいに、人類は複雑な移住と交雑を繰り返していたこと、さらには、アフリカから最初にユーラシアに拡散した現生人類やネアンデルタール人の祖先がいったんアフリカに戻り、それが現生人類に進化して再びアフリカを出たたという「可能性」があること、などが分かってきた。

集団間の遺伝的差異と人種差別

 新たな事実が判明する、というだけなら万々歳なのだが、人間の来歴に関する事実はさまざまな問題も生じさせる。その筆頭は、言うまでもなく人種差別だ。
 実際、人間の生物学的差異に関する研究は、疾病の診断や治療に有益であるにもかかわらず、ある時期以降、タブー視されていたところがある。そして、集団間の差異はあったとしても無視できる程度であり、集団内の個人間の差異の方がはるかに大きい、だから、集団間の生物学的差異に関する研究はそもそも意味がない、というようなあえて事実に踏み込まない考え方が支配的であったという。
 しかし、著者はこのような姿勢を良しとはしない。集団間の遺伝的差異については、皮膚の色を別にしても、乳糖を消化する能力、高地で呼吸する能力、特定の疾患へのかかりやすさなど、既に幾つかが知られている。そして、研究は十分に進んではいないものの、それだけではないようなのだ。にもかかわらず、科学がそこに目をつぶっていると、不正確な情報や、根拠のない憶測に基づいた差別的な言説を放置することになる。

「神話」が崩壊しても残る差別

 もちろん、研究を進めていけば、かつて差別の根拠とされていた「神話」を科学的に論駁できるようになる一方で、我々が心の準備をしておかなければならない、不都合な事実に突き当たることもあり得る。それでも、著者は、例えば男女間の生物学的差異については、その事実を受け止めつつも、それぞれの自由と平等を追求してきたことを引き合いに出して、前向きに取り組むべきだと言う。
 管理人も男女間の差異の件については、なるほどと思った。貴重な先例になる。しかし、前向きの意味ばかりでなく、後ろ向きの意味でも先例だ。いまだ厳しい男尊女卑が支配的な社会は少なくない。より密やかに、しかしより広く行われているのは、男女の産み分けだ。ひどいところでは、性比が2割も違うという。実数で言えば、ホロコースト以上の人数になるではないか。事実は重要だ。だが、それだけで足りるわけではない。


交雑する人類 古代DNAが解き明かす新サピエンス史
デイヴィッド・ライク 著
日向 やよい 訳
NHK出版

書評

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