社会モデル考察の土台づくり『社会科学のためのモデル入門』

社会,数理

 本書『社会科学のためのモデル入門』はその昔、「モデル」という点に着目して買ったのだったが、内容的には学部レベルの経済学の入門書というところ。それほど難しくない話をページを割いてとにかく丁寧に丁寧に説明し、そして考えさせる、アメリカの教科書に良くあるスタイルである。ただし、第2章「推論入門」と第3章「推論の評価」は、まさに「モデル」に特化していて、重要なポイントを押さえている。
 本書そのものは既に絶版になっているようだが、今の日本で、本書に近いものがあるのかどうか。ないとすると、学生は土台ができないままに卒業してしまったり、土台のない空中楼閣のような研究に突進してしまうようなことになりはしないか。

モデル評価のための決定的実験

 同じ現象を説明している複数のモデルの優劣を評価し、最良のモデルを選ぶためには、それらのモデルの答がそれぞれで異なるような問題を見つけ出す必要がある。このような問題のことを「決定的実験」という。しかし、こういう仮説検証型の思考は、意識しないと難しい。複数のモデルの優劣比較の場合はまだしもであるが、一個のモデルをそれなりに検証しようとする場合は、棄却されるべき(複数の)対立仮説を想定し、当該モデルと対立仮説の結果が異なるような実験を行う必要がある。
 自然科学系の場合、この種のことは徹底して叩き込まれるのではないかと想像されるが、社会科学系の場合は、下手をすると手つかずのまま、学校を出てしまう。他方で、ITやビジネスモデルの検証といった場面では、この種の思考が不可欠になることがある。そして残念なことに、それに苦戦する人が少なくない。そういう場合、幾つかの都合の良いケースでたまたまうまく行くことを確認するだけで満足してしまう。他のケース、もっとありそうなケースでどうなるかには、考えが及ばないのだ。

思いもよらないインプリケーション

 ある社会のすべての夫婦が女の子より男の子が多くなるまで、子供を産もうと決めたとする。これは明らかに、男の子が期待されている状況と考えられるのだが、実際にシミュレーション計算してみると女の子が多くなる。最終的には、すべての夫婦で、男の子がただ一人だけ女の子より多くなるはずなのだが、女の子が男の子より何人も多くてなかなかその状態に至らない「途中段階」の大家族夫婦によって相殺され、状況が逆転してしまうのだ。
 もちろん、夫婦と子供の実際を考える限り、男の子が期待されている社会状況で、男の子の数がただ一人多くなった(極限は男1、女0)ところで打ち切るはずはないし、女の子ばかりが産まれ続けている状態を延々続けるわけもない。だからこの例は、単純なモデルが思いもよらないインプリケーション(含意)をもたらす強力さを持ち得ることを示すだけでなく、その意外さがモデルの非現実的な単純さの帰結にすぎない、ということの反面教師でもあり得る。ともあれ、モデルの現実的インプリケーションを重視する視点は、本書を通して語られる。

モデルの倫理性

 モデル構築では、真であることや美しさ(上の例のような意外さを生む出す特性)だけでなく、倫理性をも重視すべきであるという。科学的な客観性を追求していくと、しばしば倫理などは忘れ去られがちであるが、モデルは社会を良くすることに貢献することが望ましい、ということだ。倫理の内容そのものは一筋縄ではいかないところがあるが、モデルは現実世界に対する人々の認知を形成し、人々の行動に条件をつける。だからモデルは中立的なものではない。
 例えば、マイノリティの子供はマジョリティの子供より学校の成績が悪いとする。モデル1はそれを教育と文化の価値観・習慣の違いに求める。モデル2は、単にマイノリティのメンバーはマジョリティのメンバーより劣っていることの帰結とする。実際のところ、どちらのモデルが正しいのかを検証することは容易でない、言い換えれば両モデルは同じくらい真理に近い。ところが、それぞれのモデルからは根本的に異なる、倫理的に看過できない政策の違いが導かれる。だからモデル1の方が良い、とまで言えるかどうかはともかくとして、社会科学のモデルは常に倫理的な色を持つことは忘れてはならない。


社会科学のためのモデル入門
チャールズ・A・レイブ,ジェームズ・G・マーチ 著
佐藤 嘉倫,大澤 定順,都築 一治 訳
ハーベスト社

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書評

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