職業的挟持と互恵的利他主義『さらば、神よ』
職業的挟持、あるいは専心といったものがある。いわゆるプロや専門家といった人々は言うに及ばず、普通の商売人や会社員でも持っている、いやむしろ、普通の人々のそれの方が地味な背景から浮き出ているようにも思える、職務を全うしようとする強い意志。管理人は、それがはっきりと実在するものであると感じながら、その出所が良く分からなかった。脳の進化と関係がありそうだということは何となくわかっていたが、そのメカニズムが分からなかった。それが本書で腑に落ちた。
人間を含めた生物は自身の拡散に「利己的」な遺伝子に支配されているが、利己的な手段ばかりではその目的を達成することはできない。少なくとも、人間のような社会的生物は、互恵的利他主義が重要な手段となる。相互的利他主義は、元々はほとんど一生を過ごす小さな集団内の直接的なものであったが、集団が大きくなり、分業が発達するにつれて、より抽象的なものになってくる。その典型的な形態が、職業を介した相互的利他主義というわけである。
職業は生活の糧を得るために労働するという経済取引でありながら、そこに倫理的な色彩が深く刻まれているように思えるのは、このためであろう。もちろん、現にある職業的挟持は、為政者や使用者が自らに都合の良いように創り上げた社会制度にうまく利用され、ややアンバランスに強化されているところはあるのだろう。それでも、大元の出自が互恵的利他主義のようなマトモなものであったらしいことが分かり、少々安心している次第である。
さらば、神よ
リチャード・ドーキンス 著
大田 直子 訳
早川書房