獰猛な自然の闇、原始の人間性の闇『闇の奥』
本書『闇の奥』は、ポーランド系イギリス作家である作者の代表作。アフリカ最奥部の出張所で音信を絶った腕利きの象牙採取人を、船乗りの主人公マーロウが救出しに向かう、という筋書きだ。自ら船乗りとしてコンゴ川の上流まで行った体験を基にした、作者お得意の海(本作では河だが)と船が色濃く出た作品である。
本作は最初、原文で読んでみたのだが、知らぬ間に場面が移っていたり、代名詞が誰を指しているのか分かりにくかったりで、少々閉口した。作者独特のスタイルもあって、練達の訳者である中野好夫氏でさえ、新しい注釈がなかったら改訳に踏み切らなかったかも知れないというのだから、これは無謀であった。それで改めて翻訳で読んでみたのだが、「意味」がはっきりした分、「意味するところ」が分からなくなった。
西欧帝国主義との関係は
簡単そうな問題から片付けておこう。本作は舞台が帝国主義の象牙貿易だから、どうしても帝国主義批判(する?される?)と結びつけて理解したくなる。しかし、あまり関係ないのだろうと思う。確かに、その強欲だけから「闇の奥」にまで分け入っていくことを考えれば、帝国主義の闇も相当なものだ。しかし、結局は、「闇の奥」に打ちのめされてしまう。
帝国主義者の手先から何か別のモノになってしまったクルツ、そのクルツに心酔して彼と共に平行移動するロシア人青年、帝国主義の傍観者、あるいは傍観者たる帝国主義者であったマーロウ。帝国主義の蛮行はネガティブに描かれるが、作中人物は皆、いや作品全体が、ある意味で帝国主義に浸かっている(いた)。あちこちに顔を出す帝国主義は、あくまで舞台背景にすぎないのだろう。
「闇の奥」とは何か
これは作者が一応答えている。かつてローマ人が渡ってくる前の荒野のようなブリテン島も「闇の奥」だった。そして文明に取り残されたアフリカ最奥地は現代の「闇の奥」だ。そして何より、そうした「闇の奥」にふさわしい、原始から連なって現代まで生きる人間の心、作者の言葉によれば「僕等自身と、あの狂暴な叫びとの間には、遙かながらもはっきり血縁がある」という事実。
この暗示に満ちた作品を思想的に読むと、重要なのは後者の人間性の闇、と言いたくなる。しかし、前者の獰猛な自然の闇と後者の人間性の闇は案外関係が希薄であって、人間性の闇は取って付けた感がなくもない。むしろ、本作を読んで絶え間なく感じさせられるのは、すべてを呑み込むような自然の闇の方だ。両岸の絶壁、鬱蒼とした樹々、重い空気、過剰な光、延々と続く水流。いかに原始の闇を抱えていようと、そこに暮らす現地人がいることが不思議なくらいだ。
クルツとは何者か
本作の主人公級の副主人公クルツもまた、実在の人物がモデルとなっているという。クルツは、ただの優秀な象牙採取人だったのが、自然の闇に分け入っているうちに、人間性の闇の権化になってしまった。もはや商売のための象牙ではない、集めるために集める。そして、闇が原始の闇であるなら闇の濃さでは負けていないはずの現地人に異様な感化を与え、その王か神のような存在になってしまう。もはや、何をやっているのか分からない。
ただ、読者から見る限り、噂ばかりでなかなか登場しないクルツ、登場してからは死を待つばかりの狂人にしか見えないクルツは、神秘的な印象を与えはするものの、作品で想定されているほどの感銘力は示さない。その傑出しているはずの思想も、言葉も、現地人を支配してしまった強烈な個性も、すべて「クルツが凄いことを言った」という類の漠然とした伝聞だけで、我々読者の前に直に姿を現すことがないからである。やはり軍配は、自然の闇に上がる。
闇の奥
コンラッド 作
中野 好夫 訳
岩波書店(岩波文庫)