スポーツ賭博から厚底シューズまで『スポーツルールの社会学』
本書『スポーツルールの社会学』は題名どおり、スポーツの歴史や社会との関わりを主にルールの側面から俯瞰した小著である。近年のスポーツの変質を嘆くあまり、妙なところに力こぶが入っているところもあるが、興味深い話が幾つも出ている。少し古くなってしまっていて、最新のスポーツ事情とは差があるが、そのあたりも一つの「歴史」であろうか。
偉大なる「賭け」の歴史
近代スポーツの歴史を遡るとどうなるか。何となく、古代オリンピックのような精神と肉体の一体的鍛練を想像していた。日本で言えば、武士道のようなもの。しかし、本書によれば、現在の我々が見る組織化されたスポーツは、そうしたものの直系ではないらしい。では何かと言えば、「賭け」なのだそうだ。
村の運動会のようなものに、賞品や賞金目当てのよそ者が入り込んでくる。問題のようでもあるが、彼らの競技能力はそれなりに高いから、彼らを見物しようと人が集まってくる。すると、そうした観衆を相手にする「賭け」が発生する。「賭け」が人気を博すと、大規模化や組織化が促進される。他方で、公正を保つためルールの整備が起こる。まったく別の話だが、確率論を生んだのも、「賭け」だった。人間の欲は社会のドライバーなのか。
雨の中のスポーツ
陸上競技やサッカーは、雨の中でも行う。野球やテニスは、やらない。この違いは、雨中であっても危険でないかどうか、というようなことかと思っていたが、本書によると必ずしもそうではないらしい。ブルジョワジーによって近代化されたスポーツは雨中でもやる、それ以外はやらない、ということだ。それらは、彼らの肉体的能力を誇示するためのものであったというわけだ。
随分昔の話になるが、大学のさる先生が「英国の上流階級は精神においても肉体においても他を圧倒しようとする」というようなことを言っていた。「それに引き換え日本では人はみなが取り柄を持って、などと甘ったれたことを言っていて……」とまで言ったかどうかは記憶にないが、当時でも少々高慢に聞こえたものだ。それでも、「文武両道」くらいのことで大騒ぎしているのはやはり甘えているか。妙な悪平等主義にも少々うんざりする。
「厚底シューズ」を予言する
スポーツの進歩には、用具の進歩が大いに関わっている。管理人が贔屓にしている陸上競技で言えば、全天候型のトラックや棒高跳びのグラスファイバー製ポールなどが、すぐに思い浮かぶ。それでも、シューズに関しては(スパイクはともかく)、競技力に直結するような改良はこれ以上難しいと思われていた。が、本書は30年も前に「いつの日か速く走れるシューズ」が出現するだろうと予言していた。
確かにシューズは進化していた。ソールの材質をどんどん進化させ、軽量性とクッション性を両立させた、というのがシューズ・メーカーの常套句となっていた。しかし、それで早く走れるかと言えば、別問題だ。そこに現れたのが例の「厚底シューズ」である。管理人の見立てでは、厚底よりはカーボン・プレートが肝なのだと思えるが、これはある意味バネ仕掛け。新技術の投入にはそれほど批判的ではない管理人にも、かなり際どいものに思える。
スポーツルールの社会学
中村 敏雄 著
朝日新聞社(朝日選書)