老学士院会員「浮世」で奮闘す『シルヴェストル・ボナールの罪』

文学

 本作『シルヴェストル・ボナールの罪』は、作者アナトール・フランスの出世作ということである。主人公のボナール先生は中世修道院の歴史を研究する老学士院会員、そして本に囲まれ古書の目録を味読する本の虫であるから、ギッシングの『ヘンリ・ライクロフトの私記』のような、「しみじみ」(岩波文庫のカバーにもそう書いてある)と過去を回想するようなものを想像していた。しかし、意外にも本作は現在進行的、そして人間的なのである。

ボナール先生の生きざま

 ボナール先生は、身体は「本の都」に、頭は古代・中世の世界に暮らしている。自らがそれによって裁かれるかも知れないナポレオン法典よりブロワ憲法やシャルルマーニュの法規集に詳しく、花嫁になろうとする娘から晴れ着や支度の相談を受けても14世紀の言葉の方が良く通じるだろうという、まことに浮世離れした人物である。
 だが、決して世捨て人ではない。かつては同じ住居に住んでいた地理学者の娘に恋焦がれたのであるし、今では孤児となったその孫娘ジャンヌのために骨折る愛すべき人物なのだ。心中はあれやこれやに動じるものの外面は冷静を装い、かつ少々皮肉屋でもあるためにそう見えないだけだ。

ボナール先生の「理論」と「実践」

 そもそもボナール先生は、世間のことどもについても「実践」は覚束ないものの、その「理論」についてはなかなかのものだ。その点、まったくの堅物、いや悪人ですらあった女教員プレフェール女史や元後見人ムーシュ氏とは違うのだ。老いてますます任務に厳しい召使の婆やテレーズと同様、一本芯が入っているのだ。
 塾での管理教育に反対して滔々と述べた教育論など、口で言うだけだとしても実に立派なものだ。いや、口だけではない。いよいよそれが崩れようとした日、彼は乾坤一擲の「実践」でジャンヌを救い出したではないか。それはやりすぎだったかも知れないが、きっと多くの読者が心の中で応援していたことだろう。

ボナール先生の「罪」

 そんなボナール先生の「罪」が本作の題名になっている。「罪」とは何だろうか。本作中、それと書いてあるのは、すべてをなし終えたボナール先生が最後に犯したささやかな「罪」である。しかし、実はそれまでにも、ボナール先生はさまざまな「罪」を犯している。
 現実の「罪」に問われかねなかった「実践」はいわずもがな、若い学生に自身の業績を貶されて心の中で悪態をついた「罪」、しばしジャンヌの独占を欲した「罪」。こうしてみると浮世とは、ボナール先生のような本の虫でも罪を犯さざるを得ないくらいに人間を引き込み、手放さないものらしい。それならいいだろう。多少の罪があっても。


シルヴェストル・ボナールの罪
アナトール・フランス 作
伊吹 武彦 訳
岩波書店(岩波文庫)

書評

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