現代科学が解き明かす生物の合目的性『偶然と必然』

哲学,科学

 本書『偶然と必然』は、ノーベル医学生理学賞受賞の著者が、合目的性を大きな特徴とする生物の謎、そしてそこに内在する思想問題に迫った本である。我々人間をはじめ、すべての生物に一定の合目的性が備わっていることは、否定のしようがない。しかし、通常「目的」というのは誰かの計画や意図を前提とするものであるが故に、アリストテレスの「目的因」よろしく、科学からは排除されてきた。生粋の科学者である著者も、そのような考え方は断固として排除する。では、排除しながら、生物の持つ合目的性をどう説明するのか。

「偶然」の変異から「必然」の合目的性へ

 結局のところ、著者はミクロの分子生理化学まで遡った進化論でこれを説明するのだが、そこに至るまで、古今の妄説、もとい大思想を退け(そこには「生気説」とされるベルクソンや、「物活説」とされるヘーゲル、マルクスが含まれ、大変に物議を醸したらしい)、化学的特異性やポテンシャル・エネルギーに入り込み、と大変に忙しく、かつ難しい。
 DNAに刻まれた生命暗号がアミノ酸に翻訳され、タンパク質、そして生物体を構成するというミクロの過程は、精妙ではあるがまったく機械的な物理化学過程で、そこには既にそれとしてある合目的性以外のものは見当たらない。しかし、DNAのコピーミスに起因する「偶然」の変異が、別のアミノ酸、タンパク質、生物体を生み出す。それらの大半は、エラー変異体として淘汰されて消えるが、生物の「目的」つまり個体維持とリプロダクションにより適合的な変異体は、自然選択の過程で保存される。保存されるどころか、種の中で優勢になり、やがてその種の新たな形質となる。このマクロの過程で「必然」的に、生物の合目的性が一段また一段と引き上げられてゆく。

現代科学・進化論の強力さ

 合目的性は、それぞれの生物が生きる環境に含まれる当然の理屈、例えば「酸素があればその燃焼によってエネルギーが得られる」、「光のあるところではその検知によって外界の情報が得られる」といったことの投影であったわけだ。「偶然」から「必然」へ。これ以外の方法で、生物の合目的性が生み出されること、生物における熱力学の第二法則への抵抗がなされることはない、と著者は言う。そしてこれこそが、現代の正統の進化論であり科学なのである。
 この論理は大変強力で、非常に多様な合目的性やおよそ考えにくいほど特化した合目的性をも説明してしまう。魚は水中に棲むから水中生活における合目的性が追求される。ところが、たまたま(波打ち際での生活やら日照りやらで)陸上に這い上がった個体が現れると、陸上生活という新たなトラックでの合目的性の追求が始まる。水中では陸上生活に適した形質には淘汰圧は働かないが、陸上では働くからだ。こうして「フォーク」が起こり、別の新しい環境に適合した合目的性が獲得される。

いろいろな意味で難しいが読む価値あり

 本書は、かなり厳密な話もあり、相当に難しいが、以上のような科学の範疇の核心部分の説明はせいぜい20頁くらいのコンパクトさで、明快だ。一見すると誰か(神?)が創ったとしか思えない生物の合目的性の不可思議さ、壮大なトートロジーとも言える進化論の「意味」をこれほどコンパクトかつ明快に説明したものは、そうはない。
 ただし、こうして明らかにされた「目的」のない世界における「思想的な問いかけ」は、本当に難しく論争的である。神話と宗教と物活論で満たされていた価値の世界と客観性の科学が明らかにした知識の世界の相克、そこから抜け出すために欠くことのできない客観性の公準を真の知識の条件として据えるという原始的価値の倫理的選択……。もっとも、この価値と知識の相克は、西欧の強固なキリスト教的思想状況を前提とするもので、日本では両者はさしたる混乱もなしに棲み分けられているようにも思える。
 本書の「訳者あとがき」には、ヨーロッパでは空港の売店で本書が売られている、知性水準の高さに感心する、などという感嘆が書かれている。本当に、訳者がたまたま目撃したほど本書が広く売られているのか、飛行機の中で読んで十分に理解されているのかは定かでないが、本屋で買って喫茶店で腰を落ち着けて読む価値はある。管理人は、ずいぶん昔にネット書店で購入し、最近、ファミレスのドリンクバーで粘りながら再読したところである。


偶然と必然 現代生物学の思想的な問いかけ
ジャック・モノー 著
渡辺 格,村上 光彦 訳
みすず書房

書評

Posted by admin