忠臣蔵は忠義の物語にあらず『忠臣藏とは何か』

歴史,芸術

 忠臣蔵というものが分からなかった。端的に、たかだか主人の名誉くらいの話で生命を投げ出すなどというのは気が知れないということだ。史実としてのそれ(赤穂事件)や成立期の芝居としてのそれは江戸時代の話だから古い時代の話と割り切れたが、現代人までが年の瀬ともなると忠臣蔵がどうこう言いだすのが分からなかった。そこで、『忠臣蔵とは何か』というズバリの表題に惹かれて本書を手に取った。

怨霊慰撫だった忠臣蔵

 結論を言えば、分からなくなるのは忠臣蔵を忠義に基づく敵討の道徳話と見るからである。さすがに現代人があれを道徳話と見るのは管理人ならずとも相当に無理な話であって、確かに現代芝居などでは相当な尾ひれをつけて何とか不自然にならないようにしている。実際、管理人ならずとも疑問を持った人は多かったようだ。
 では何なのかというと、著者によれば忠義や敵討もさることながら、伝統的な呪術的心理(御霊信仰)に基づく怨霊慰撫が本質なのだそうだ。敵討という形式により浅野の怨霊を鎮める、これは忠臣蔵の事件が芝居に転化していくにつれてより鮮明になる。この見解が正しいのかどうかは管理人には定かではないものの、これでは現代人には分かるわけはない。

天災は失政による

 ではなぜ怨霊慰撫のようなことが必要だったかと言えば、それは天災である。本書に付されたこの時代の天災一覧は本当に凄まじい。大雨洪水、地震、疫病、旱魃、不作、それに富士山の噴火というようなものまである。火事に至っては江戸の華であり、芝居の火事装束はこれと関係があるらしい。これらは分かりやすいが、芝居が当たったのにはもう一つ理由がある、それは悪政であった。
 当時は綱吉の時代、御犬様のために人間が命を落とすなど、ほとんど天災と変わらない理不尽さである。その綱吉自身も気にしていたという、君主の不徳が天の不満すなわち天災となって現れるという呪術的世界像が世間にはあったから(本書では『金枝篇』の伝説として紹介されている)、悪政の主は呪わずにいられなかった。それを芝居にかこつけて行ったわけである。

芝居から事件へ、事件から芝居へ

 では、道徳は関係ないのかというと、少なくとも江戸時代のうちはそれもあった。その時代ならそれほど不自然ではない。ただ、その道徳は生の道徳というわけではなく、下敷きがあったというのが著者の見立てである。下敷きとは、当時大変に人気のあった芝居の『曾我物語』である。事件としての忠臣蔵は、怨霊慰撫の儀式を『曾我物語』に見られる道徳作法で行った、一種の芝居であった。そして、それが芝居として更に花開いたというわけである。
 この事件と芝居の切っても切れない関係を踏まえると、本書冒頭の小噺が効いてくる。対談で、芥川龍之介が討入の「華美な服装」と言ったのを受けて、蘇峰は「遊戯気分」と返したという話である。本書は文学のみならず芝居にも造詣の深い著者ならではの構成で、なかなか隙がない。


忠臣藏とは何か
丸谷 才一 著
講談社

書評

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