人間の物語か荒野の物語か『荒野の呼び声』
本作、ジャック・ロンドンの『荒野の呼び声』は、何度か映画化されているし、確かアニメにもなっていたはずである。それなりに有名であることは知っていたし、原作があることも知っていた。ただ、映画やアニメが先に来るとチープ感がついて回る感じがして、敬遠していたわけではないがあえて手に取ることもなかった。
作者が作者だけに何かの主張が裏にあると読まれがちであるが、考えたことをストレートに書いただけ、という気がする。筋立てもちぐはぐなところがある。それでもグイグイと読ませる筆力はいかにもアメリカ小説らしい。
本作は労働者の物語なのか
ロンドンは『どん底の人びと』が有名だから、本作のバックよろしく「ムチ」とわずかばかりの食料で押さえつけられる労働者、というような社会批判の観点からの暗喩があるのかと思ったが、そうでもなさそうだ。実際、それでは肝心の荒野の叫び声に応えて一本立ちする件が、何を意味するのか分からなくなってしまう。それが一揆や革命なら話は別だけれども。
そもそもロンドンの生き方自体、貧困から自身の能力一つで這い上がって成功する、というようなものだから、資本主義的とは言わないまでも、弱肉強食の荒野を肯定する生き方である。それにしても、ジャックは判事のお屋敷で飼われていたボンボンである。弱肉強食の荒野での勝利者となってはいけない理由はないが、ちぐはぐ感は否めない。このあたりは読込みすぎなのかも知れないが。
本作は信頼の物語なのか
もう一つのテーマと思しきものは、人間との交流である。見てはいないから想像だが、映画はこの路線だろう。読む前は荒野主体かと思っていたので、むしろ人間との関係の方が遥かに長いのが意外であった。悪い人間、良い人間、ダメ人間、いろいと仕えてきて最後にソーントンとの信頼関係に至る。子供の絵本的な読み方であるが、各々の人間類型の描写は際立っているし、相手がそういう扱いをしてくれば自分もそういう心情にもなろうかと思わせる。
少々意外なのは、ジャックが自身の職務に打ち込む、それどころか挟持をもって打ち込むところである。これはソーントンとの信頼関係が出来る前、ムチに怯えていたことからだから、人間とは関係なさそうだ。荒野で是非とも必要な能力発露なのか、荒野の王へと向かう序章なのか、まさか日本的な労働肯定ではあるまいが。シリトーの『土曜の夜と日曜の朝』で悪漢アーサーが、捻くれながらも旋盤仕事を得意にしている姿を少し思い出した。
信頼について一言
信頼関係というのが出てきたので、取って付けたように「信頼」について一言しておこう。信頼というと「バックなら期待に応えてくれるだろう」というのが普通の理解だろうが、これは間違いで、正しくは「バックでも駄目なら仕方ない」だろう。前者は期待の方が基準になっているが、後者は正しくバックが基準になっているからだ。
バックはソーントンの水難救助に成功し、橇引きの賭けでも勝つが、それだけなら信頼ではなくて能力称賛になってしまう。そもそも信頼というのが勝手読みで、作者の意図はむしろ荒野で生きる能力称賛かも知れないのだが。こういうところこそ文学作品に期待したいのだが、そこまで踏み込んだ作品は見たことがない。少々残念なことである。
荒野の呼び声
ジャック・ロンドン 作
海保 眞夫 訳
岩波書店(岩波文庫)
本書は、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/cards/001770/card57996.html)に入っている。