地球温暖化でイーハトーヴを救え!『グスコーブドリの伝記』

文学,社会

 本作『グスコーブドリの伝記』は、宮沢賢治の童話。内容をつづめれば、主人公のブドリが、貧しい少年時代からの苦学の末、クーボー大博士に見込まれて火山局の技師となり、ついには科学技術の力をもって激しい寒気と凶作に立ち向かう、自身の生命という尊い犠牲を払って、という真摯な物語である。しかし、そのクライマックスでの話の展開があまりに衝撃的でのけぞってしまった。

人工的に地球温暖化を引き起こす

 その衝撃的な話の展開は、次のブドリとクーボー大博士との会話に凝縮されている。測候所による「恐ろしい寒い気候」の予報が、だんだんと本当になってきた頃のことである。

「先生、気層のなかに炭酸ガスがふえて来れば暖かくなるのですか。」
「それはなるだろう。地球ができてからいままでの気温は、たいてい空気中の炭酸ガスの量できまっていたと言われるくらいだからね。」
「カルボナード火山島が、いま爆発したら、この気候を変えるくらいの炭酸ガスを噴くでしょうか。」
「それは僕も計算した。あれがいま爆発すれば、ガスはすぐ大循環の上層の風にまじって地球ぜんたいを包むだろう。そして下層の空気や地表からの熱の放散を防ぎ、地球全体を平均で五度ぐらい暖かくするだろうと思う。」
「先生、あれを今すぐ噴かせられないでしょうか。」
「それはできるだろう。けれども、その仕事に行ったもののうち、最後の一人はどうしても逃げられないのでね。」

 驚くなかれ、人工的に地球温暖化を引き起こして、寒冷のイーハトーヴを救おうというのだ。これこそが、ブドリが自らを犠牲にして行った最後の「仕事」であった。本作はブドリの犠牲の精神を読ませるものだろうから、阿吽の呼吸で見て見ぬふりをするところだろう。しかし、見過ごすことはできない。正直なところ、犠牲の精神など霞んでしまった。

人間中心のご都合主義

 もちろん、これは当時だからこそ書けたものだろう。炭酸ガスの影響が局所的な温暖化ではなく、地球規模の気候攪乱につながるなどという知見はまったくなかったからこそ、書けたものだだろう。しかし、そこにナイーブすぎる科学万能主義、ほしいままに自然に介入する人間中心主義、他人に降りかかる害悪は考えない自己中心主義が透けて見えてしまうのは、如何ともしがたい。
 作者を批判するわけではない。むしろ作者が宮沢賢治のような真面目な人物だからこそ、捨て置けないのだ。人間がやろうとしていることは要するに、炭酸ガスが人間にプラスだと思えば炭酸ガスをばら撒き、炭酸ガスが人間にマイナスだと思えば炭酸ガスを止めにかかる、それだけのことではないか。科学万能主義や自己中心主義はともかくとして、人間中心主義は正面から認めるしかないのではないか。それなら一貫している。
 現実の世界に目を転じると、地球温暖化は地域ごとに異なる影響を与えることが指摘されている。例えば、「北の国」には利益になる可能性があるということだ。幸いなことに、「北の国」がブドリのように温暖化政策に走る様子はないようであるが、もし温室効果ガス排出規制は「南の国」の偏向政策だと批判してきたら、どう答えるのだろう。もちろん、それなりの答はある。あるにはあるが、やはり人間中心のご都合主義は免れそうにない。


グスコーブドリの伝記
宮沢 賢治 作


本作は、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/cards/000081/card1924.html)に入っている。

書評

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