保守主義とは「アンチ主義」であった『保守主義とは何か』

社会,歴史

 保守主義というのは、何となく理解できるようでいて、実は良く分からない。伝統ガチガチの保守派も、反動的な右派も、新自由主義も、一緒くたに保守の範疇で語られることがあるが、共通項が希薄であるように見える。
 以前にレビューした『社会はなぜ左と右にわかれるのか』では、これを社会心理学の観点から6個の道徳基盤を基に分析しており、なるほどと思ったものだ。それに対して本書『保守主義とは何か』は、エドマンド・バーグ以来の、保守主義の歴史的な成立の過程を見ていくという伝統的アプローチをとる。それによってこそ、保守主義の中身が見えてくる。

保守主義 vs.進歩主義

 保守主義は、素朴に共通項を探せば、歴史と伝統を重んずる立場ということだろうから、太古の昔から存在し、それに進歩主義が挑戦していったように考えがちだ。しかし、本書によれば、それは逆である。むしろ近代になって、闘うべき敵(進歩主義)が出て来てから、それに対抗して現状を守ろうと意識的に主義化したのが真の保守主義だというのだ。
 本書で追いかけている闘うべき敵とは、フランス革命の啓蒙主義、マルクス主義ないし共産主義、そしてニューディールの落とし子である大きな政府である。時々の保守主義は、それらの「アンチ」として成立し、その内実が規定されたのだ。敵の内容はさまざまである。しかるに、保守主義の内実もさまざまということになる。

理性のおごりを批判する保守主義

 では、何かを何かから守る、というその枠組みが共通であるだけで、それ以上のものはないのかと言えば、そうではない。それは、敵である進歩主義に共通項があるからだ。敵は現状に不満を抱き、これを変革しようとしてくるのだから、良く言えば人間の理性、悪く言えば現実のテストを経ていない頭の中の拵えごと(抽象的な原理)で突っ走ろうとする。このことが保守主義を不安にさせ、苛立たせる。
 人間の理性というのは大事なものである。変革の切っ掛けとなりエネルギーとなる。しかし、残念なことに、理性から導かれる真理は人ごとに違う。故に少数の人間の理性はしばしば誤る。フランス革命は流血と反動を呼び起こして何年も続く混乱を招いた。マルクス主義は資本主義に完敗してほぼ消滅した。大きな政府は危機時のニューディールを平時に外挿しようとして国家を困窮させた。

保守主義と理性

 管理人は、伝統か理性かと問われれば、理性を取る。古臭い伝統はむしろ大嫌いだ。しかし、裸の理性もまた、胡散臭く感じる。自由や平等といった理性の産物が大切なのは、それらは理性を出自としつつも、既に何世紀もの現実に鍛えられ、強固に結晶化しているからである。ぽっと出の主義主張とは訳が違う。それらは、その時々の保守主義の挑戦を受け、そのほとんどが破れて消えていった理性の産物の中の、ごくごく少数の生き残りなのである。
 さて、このように保守主義は「アンチ主義」であったのだが、未来が見えない現代にあっては、その敵である進歩の理念が急速に失われてきた。その反面として、敵を失った保守主義の位置づけも揺らいでいる。そこで、今こそ「アンチ主義」でない、積極的に何かを保守する保守主義が望まれる、というのが本書の結論である。ただ、現代の保守主義(を自称する面々)はあまりにも理性に欠ける。その弱点を克服しない限り、保守主義は単なる反動に堕してしまうだろう。


保守主義とは何か 反フランス革命から現代日本まで
宇野 重規 著
中央公論社(中公新書)

書評

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