猥雑と混沌の『上海』

文学,歴史,青空文庫

 本作『上海』は、作者である横光利一の最初の長編小説であり、代表作の一つでもある。そして、「序」で述べられているように、後から改稿もした「最も力を尽くした作品」であるようだ。ただ、その割になのか、それ故になのか、作者の短編、例えば『機械』や『微笑』に見られるキレや密度が感じられず、長編である分だけ冗長に感じられてしまう。
 管理人は、あまり筋のない物語でもディティールで興味深く読める方なのだが、本作はどうも行き当たりばったりで、長編として一本芯が入っていないという印象なのだ。いや、作品全体に通底しているテーマがないわけではない。作者が「近代の東洋史のうちでヨーロッパと東洋の最初の新しい戦いである」と言う五三十事件と参木の女性問題がそれなのだが、最後の最後、より重要性の低い(と思われる)後者で話が終わるのも肩透かしである。

ドギツイ背景と影の薄い主人公

 作品の素材としては、植民地社会の政治と生活、猥雑極まりない街(汚水や汚物の類の描写が繰り返し出てくる)、革命の前後の混乱と騒動、さまざまな国籍の人間、彼ら彼女らの「尖った」生き方、と揃っている。それらの一つ一つはドギツイくらいに鮮やかな描写がなされている(これがリアリズムというものか)のだが、ドギツイ素材の相互の脈絡がつかめずに、同じ(ような)短編のモザイクのように感じられてしまうのだ。それが作品としての価値を下げるのか、良くも悪くも本作の特徴であるのか、何とも言いようがない。
 いろいろ考えてみて、主人公である参木という人物の素性が知れないことが原因かと思い当たった。ところどころ、長く日本を離れており、銀行勤めであり(作中クビになり)、他人に嫁いだ女を慕い続け、妙に女に潔癖である、というようなことは書いてある。そして、本作の中でのあれやこれやの言動も彼の個性を示すものには違いないのだが、どうにも影が薄い。『カラマーゾフの兄弟』のアリョーシャを水で薄めたような人物なのだ。そうした人物と(長編を読むための)数時間を一緒に過ごすことに、ある種の倦怠感を感じてしまうのかも知れない。

猥雑と混沌の中にある”上海”

 もっとも、素材の描写は一級品である。特に、革命下の状況をリアルに描いているのが興味深い。作者の上海滞在は事件後のことであるから、基本的には取材によるものだろうが、事件の最中に群衆の渦に巻き込まれるところなどは、何かの実体験がなければ書けそうもないくらいの迫力がある。
 ロシアからの亡命者であるオルガが語るロシア革命時の状況も面白い。騒乱のモスクワから逃げ延びながら、次々に遠方の情報の及んでいない新聞社に同じ特ダネを提供して旅費を得る、などという話は何かの種があるのだろうか。それとも創作だろうか。
 もしかすると本作は、こういう素材を味わいながら読者自らがそれらをつないで行け、題材である「上海」と同様に作品である『上海』も猥雑と混沌の中にあるのだ、という突き放した小説なのだろうか。それならそれで、作中のあれこれの事件の傍観者にすぎず、その結節点にすらなっていない参木のような人物が、あえて作品の中心に据えられているのもうなづける。


上海
横光 利一 作
岩波書店(岩波文庫)


本作は、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/cards/000168/card50899.html)に入っている。

書評

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