苦悩するハードウェア脳『全脳エミュレーションの時代』
AIが本当にシンギュラリティに到達したら、どうなるのだろうか。AIが人間を滅ぼして人間にとって代わるのだろうか。AIが地球(あるいは地球外)に独自のコミュニティを作って、新たな「生命体」として繁栄するのだろうか。たいへん興味深く、また恐ろしい話でもあるが、シンギュラリティがいつ、あるいは本当に到来するのかどうかは未知数だ。
しかし、著者によれば、AIのシンギュラリティよりも、人間の脳をスキャンしてハードウェアで同じ機能を再現する技術の方が先に現実化するだろうという。それらは、あくまで人間スペックの脳ではあるが、身体の拘束から離れ、媒体のスペックアップを通して超人間になるのではないか。そうなったら、大きな社会変革が起こるだろう。本書『全脳エミュレーションの時代』は、そのような世界がどのようなものになるのか、未来予測を試みたものだ。
ハードウェア脳のコミュニティは実現しない
著者の考える未来は、それはそれで筋が通っているように思えるが、この本を手に取る人は、たいていそれとは違う自分なりの未来を思い描くだろう。管理人も例外ではない。そして、管理人の考える未来は、著者のそれとは大きく違う。と言うか、このようなことを可能にする技術が現実化したとしても(これを否定してしまうと話が終わってしまう)、脳はハードウェへの移植後ほどなくして、本来の動作をすることなく狂い出し、したがって自分の脳をハードウェアに移植しようとする人間はいなくなり、エム(ハードウェア脳)は自律的なコミュニティを形成できないままに消滅する、というものだ。そう考える理由は、たくさんある。
脳と身体は分けられない
まず、ハードウェア脳であるエムは、エムの外部(仮に「器官」としておく)から入力された信号を受けて状態変化を起こし、「器官」に信号を出力する。「器官」は人間では身体に相当するが、エムにおいては物理的な身体である必要はなく、ハードウェア脳と信号のやり取りができれば足りる。しかし、人間の脳はそれほど独立しているのか。人間には、脳だけではない身体性があるのではないか。
著者は、脳以外の部分のニューロン、ホルモンを分泌する器官など「脳と密接な関わりを持つ重要な器官」も脳に含まれると考える。そのように広げていけば、どこかで信号処理装置である脳を分離できるということだろうが、果たしてそのような境界は存在するだろうか。あるいは、「器官」の方もまた、ハードウェア脳からの入力信号に反応して適切な出力信号を返す必要があるから、結局、エムが正常に動作するためには、「器官」もエムのような身体のレプリカである必要があるのではないか。しかも、信号処理装置である脳と異なり、身体の方は媒体の物理・化学的性質をフル活用して反応している。そのレプリカを作ろうと思えば、身体自体が必要になってしまうのではないか。内臓あたりは、どちら側から考えていっても難物そうだ。それでも、エムが実現できるなら「器官」も実現できる、と言われてしまえばそれまでだが。
脳は半不死身に耐えられない
次に、人間の脳は、単なる信号処理装置ではない。極めて特殊な目的(と言って悪ければ、機能)を持った信号処理装置である。人間のものの考え方自体、生命維持とリプロダクションを大前提に進化したものだから、それが抜きがたく染みついている。これは、我々の誰もが日々、痛感することである。
ところが、エムはハードウェアによる若干の制約はあるものの、それ自体は不死身である。そのような全く異なる前提の下で、エムは長期にわたって適切に動作するだろうか。あるいは、こう言い換えても良い。エムには媒体であるハードウェアが破壊されて訪れるごく稀な死の可能性がある。エムにとって、そのようなピンポイントの死の可能性に対するおそれは倍化するに違いないが、脳はそうした未知の状況に対処する手立てを持っていない。著者は、死に伴うコストが大幅に減少するから、状況は根本的に変化すると考える。しかし、エム社会にとってはそうかも知れないが、エム個人にとっては自己の死が無限大であることに変わりはない。エムには、ほとんど同じ特性を持った、あるいは記憶すら共有する多数のエム仲間(クラン)がいるが、そのような他者の存在が死へのおそれを緩和することはないだろう。
脳はエムとしての人生に耐えられない
最後に、エムは自分が人間のような思考をするが人間ではないエムであることを認識している。意識のほかに身体感覚もあるが、それは実在せず、信号の入出力にすぎないことも認識している。しかし、そのようなことに、ハードウェア脳は耐えられるのだろうか。ハードウェア脳のスキャン元は、生きる意味や自分の立ち位置を見失っただけで、死を選択してしまうくらいデリケートなものだ。とてもではないが、無限に無意味な人生を全うすることができるとは思えない。エムも社会にとって有意味な仕事をするが、その受益者である社会やエムが無意味であるのだから話は変わらない。あるいは、唯一の実体である人間に寄与することに意味を見出す奇特なエムがいるのだろうか。
かなり昔の話なので記憶は定かでないが、主人公の住む村の住人の大部分が脳をチップで置き換えられてしまった、という(サブ)プロットの劇画があった。それを知った人は、その事実に耐えられずに発狂してしまう、というような設定だったと思うが、そうしたことの方がよほどありそうである。この点だけを考えても、エムのコミュニティなどできそうにない。苦悩するハードウェア脳を生み出すだけに終わるだろう。
全脳エミュレーションの時代 人工超知能EMが支配する世界の全貌 上/下
ロビン・ハンソン 著
小坂 恵理 訳
NTT出版