反捕鯨論の内実『鯨とイルカの文化政治学』

社会

 日本は昔から鯨(同種であるイルカを含む)を資源として利用してきた。欧米もまた、鯨を資源として利用してきた。しかし、欧米は自らの「利用」が商業的「収奪」であったことに気づいたものか、急速に保護に傾斜していって、利用を続けようとしている日本と対立するようになって久しい。対立と言う以前に、そもそも議論がかみ合っていない。国際捕鯨委員会(IWC)は本来、資源管理のための組織だが、そのようなものではなくなっている。日本が脱退したのが正解だったかどうかは別にして、鯨をめぐる様々な要素が変質してきていることは確かだ。そういった変質の中には、(日本の鯨供養のような感謝をはるかに超えた)鯨の神聖視という異物が入り込んでいる。
 本書『鯨とイルカの文化政治学』は、このような状況を招いたのは、科学的な認識の相違などではなく、世界観の相違、さらに言えば「現代人の心にひそむイデオロギーや偏見」であると狙いを定め、これを追究した本だ。もっとも、そのスタイルは、欧米流の言説(日本人によるものも)を片端から俎上に載せて斬りまくる、という感がある。少々やりすぎと思われるところもあって、捕鯨賛成論者にとっては痛快だが、反捕鯨論者は怒り心頭となりそうだ。ただ、議論そのものは丁寧(あるいは執拗)で、政治とファンタジーが巧みに結合した議論の弱点を、的確に突いている。

ユートピア思想と文化帝国主義

 著者の主張は例えば、決して実現しない「一種のユートピア思想」である「鯨類高知能説」が人間を熱狂に駆り立て、「捕鯨問題ではエコ・テロリズムやさまざまな不正行為を容認する態度につながる」、「ナチスの自然保護政策と、現代のいわゆるディープ・エコロジーとに類似性がある」、欧米の「文化や価値観の露骨な押しつけ、すなわち文化帝国主義」が、捕鯨を「食人」であるかのようにレッテル貼りして他の民族を見下そうとする、そして「世界はかつてのような武力による覇権闘争の時代から知的な覇権闘争の時代へと移行しつつある」、「理論・知識に基づいたプロパガンダ行為や、プロパガンダと見せない文化的侵略はいっそうひどくなっている」、といった手厳しいものだ。
 こうした批判の対象のうち、オカルトに接近する生物学者ライアル・ワトソン、「人生の蹉跌」に登場する3氏あたりは、わざわざ取り上げるまでもなかったように思われる。批判の相手方のレベルを示すためにあえて取り上げたのだろうが、特に後者は、かえって本書の品位を損ねてしまった感もある。しかし、著名な科学者であるカール・セーガンまでがこの種の言説に関わっていたと知ったのは、少々ショックだった。彼は、(後になって)『科学と悪霊を語る』といった啓蒙的著作で、反科学主義と対決していたような人物だからだ。

半オカルトの「鯨類高知能説」

 そのカール・セーガンにして、「イルカとコミュニケーションを持とうとする彼の研究が、ある意味で――イルカは地球上で人類以外の唯一の知的な種であろうから――将来、万が一にも恒星間通信が確立された場合、異星の知的生物種とコミュニケートするにあたって、我々の直面する問題への一つの解決法となるかも知れないと考えられたのである」、「つまりクジラ類は、これら三つの条件において人間よりも平均的にすぐれている――時によっては遙かにすぐれていることになるのである」、「〔「鯨の歌」に示された〕クジラ類の知能が、叙事詩や歴史の代替物あるいは社会活動の精巧な暗号のかたちになって発達しているとは考えられないだろうか」、といった混迷ぶりなのだ。
 それこそライアル・ワトソンを思わせる言説で、これらに確かな根拠は一つもない。ファンタジーとして楽しむならともかく、これではおよそ議論にならない。反捕鯨論の根底にある「鯨類高知能説」とは、「鯨類は哺乳類の中でも比較的知能が高い」といったものではなく、以上のようなものであることは知っておく必要がある。

「プロ捕鯨、プロ鯨」の感覚

 このような中、比較的穏当な評価を受けているのが、海洋写真家の水口博也氏である。「欧米人科学者の見解を受け継ぎながらも」、「文章表現は穏やかであり、狂信的なところがなく」というのは、その通りだろう。ドイツ文学が本職である著者に「詩的である」、「自然科学的な知識がそれほど身につくわけでもない」と指摘されても、さほどの批判という感じはしない。これはむしろ、意外な高評価と言うべきか。
 水口氏は、写真家として被写体である鯨を持ち上げてはいるが、素朴な憧憬といったもので、欧米の議論にありがちな偏向や極論とは距離を置いている。むしろ「論」じてはいない。鯨を資源として利用しながらも同時に敬愛すべき生き物と見る多くの日本人の「プロ捕鯨、プロ鯨」の感覚に一番近いのではないか。管理人もそういう感覚だ。


鯨とイルカの文化政治学
三浦 淳 著
洋泉社


カール・セーガン 科学と悪霊を語る
カール・セーガン 著
青木 薫 訳
新潮社


このセーガンの本は、現在では文庫化されて『悪霊にさいなまれる世界―「知の闇を照らす灯」としての科学』というタイトルになっている。

書評

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