真実へのアンチ・テーゼ『嘘の効用』

社会,青空文庫

 本書『嘘の効用』は、戦後改革にも携わった法学の大家が書いたもの。裁判での「嘘も方便」から話が展開してゆく。裁判では、法律に事実をあてはめて判決を導く。「法律×事実=判決」である。ここは譲れない。ところが、法律が硬直化していて実情に合わないような場合、審理の中で明らかになった事実をそのまま当てはめたのでは、妥当な判決を導かない。そこで、事実の方を少し動かす。それが本書でいう「嘘」だ。

「大岡裁き」に見る「嘘」

 例えば、協議離婚を認めていない欧米諸国の裁判で、「嘘」の虐待を認めて離婚を言い渡すなど。著者によれば、徳川時代の厳格な法律の下で人情味のある裁判をした「大岡裁き」などは、「嘘の効用」の典型であるという。
 もちろん、行き過ぎれば害になるから、うまく使うには人を得る必要がある。著者にしても、何も「嘘」を勧めているわけではなく、本書の後半では硬直した法律の批判に向かっていく。

「嘘」vs.「真実」

 ここで注目したいのは、とにもかくにも、事実を曲げることに一定の(肯定的)評価を与えていることだ。実際、「大岡裁き」を頭から否定する人はいないだろうし、普段嘘をまったくつかない人もいないだろう。たまには、事実あるいは「真実」に対するアンチ・テーゼを考えてみても良いのではないか。
 言うまでもなく、ファクトチェックの対象になるようなフェイクは論外だ。裁判に限らず、科学上の研究でも、あるいは日常の判断でも、前提となる事実に誤りがあっては結論が歪んでしまうから、事実が大切なことは確かだ。しかし、それを超えて「真実」などという倫理の後光が差してくるような、それ自体の価値はあるのだろうか。管理人は、怪しいものだと思っている。

危うさもある「真実」

 事実に基づいて事を決するのは、公平で潔い態度だ。不都合な事実はそれとして受け入れ、その帰結に甘んずる覚悟がある。そうやって厄介な現実と折り合いをつけていく。しかし、そこまでだ。世の中には事実(だけ)では決着のつかないこともまた多い。「大岡裁き」のように前提の整わない場合、実のところ事実の問題ではなく価値判断の問題である場合、人の感情に配慮すべき場合などなど。こうした場面で事実を持ち出してみても、異論を封ずるための口実にしかならない。
 事実すら十分に明らかでないのに、常に「真実」が自分の方を向いていると思い込むのも怖ろしい。例えば、刑事が容疑者に「真実を話せ!」と迫る。なぜ「真実」なのかと言えば、それが正義=訴追に役立つからだ。もし、「嘘」が正義=訴追に役立つと思えば、刑事はそれを求めるだろう。実際、多くのえん罪事件は、そうして作られた。それならば、「真実」も「嘘」も同じこと、むしろ「真実」は口当たりの良い目くらましで、人を惑わし、追い込む危うさを持っている。


嘘の効用 上/下
末弘 厳太郎 著
冨山房 (冨山房百科文庫)


この本は、「嘘の効用」を含む著者のエッセイを集めたものである。「嘘の効用」そのものは、30頁ほどの小論で、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/cards/000922/card45642.html)にも入っている。

書評

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