フォト・ジャーナリズムに賭ける『南ベトナム戦争従軍記』
本書『南ベトナム戦争従軍記』は、ニュース・フォトグラファーである著者が、ベトナム戦争に従軍取材した記録をまとめたもの。現地取材どころか、戦闘の真っただ中での生々しい戦争の姿を描き出している。管理人の世代でも、ベトナム戦争はほぼ「歴史」である。当時と今とでは状況も違うから、アメリカを一方的に非難するつもりはないが、この戦争はどう考えても失敗と言うほかない。何より、さまざまな問題が噴出しながら、引かなかったのが最も大きな失敗だろう。
スパイ容疑で捕虜収容所送り
本書は、岩波新書で正続二巻となっている。正編をかなり以前に読んだところで止まっていたが、最近、続編を読んだ。この続編では、従軍記者として政府軍側のみならず、解放戦線側にも入ってゆく。解放村の奥深く、その中心地である「Dゾーン」にまで足を踏み入れるところがハイライトである。しかし、スパイ容疑で捕らえられて捕虜収容所送り、無為の時を過ごす。最後に何とか、目的としていた解放戦線のナンバー2とのインタビューには成功するものの、肝心の写真はほとんど撮れないまま、命からがらサイゴンに引き揚げる、という顛末。
この件を読んでいたときは、よくもこんなに危険なことをするものだ、普通の人間にはとてもできない、いや、考えもしないことだ、と思っていた。実際、著者はかなり変わった人らしく、本書の中でも無鉄砲に思えることをやっている。そこまでして、フォト・ジャーナリズムに賭けるのか。その動機はそう単純なものではないのだろうが、ともかく、そういう気概を感じさせる。
偉大なニュース・フォトグラファーへの途
ところが、本書の最後では自ら「私が残された最後の力をふりしぼり苦しい脱出に成功したとき、はじめてニュース・フォトグラファーとして、何が欠けていたかを身にしみて知ることができた」と言っている。著者ですら、ジャーナリズムの世界ではまだまだ一人前ではなかったということらしい。現地には、それこそ命がけの(しかし無鉄砲というのではなく、自己責任でリスクに備えることのできる)ベテラン記者がたくさんいて、著者も最後は彼らの助けを借りて危険になったベトナムから脱出できたのだ。
その彼らの叱咤激励は、「このような苦しみを何回もくぐりぬけてこそ、偉大なニュース・フォトグラファーに鍛えられてゆくのだ」。それを受けての著者の誓いは、「ニュース・フォトグラファーの仕事は、どのような悪条件があろうと、生命を賭して真実に接近し、そこに起こりつつある事実を歴史の証人として目撃しながらフィルムに記録し、世界の人々が正しい判断を下せるように写真による証拠と証言を送りとどける、重大な責任を持った仕事だということです。これは民主主義にとって、一日として欠かすことのできぬ大切な基本なのです。」というものだ。
日本のマスコミの体たらく
管理人はあまりマスコミが好きでない。と言うか、その重要性は分かるけれども、かなり批判的だ。組織に守られて大した仕事もしない彼らが、一端のジャーナリスト気取りで、報道は民主主義の礎だ、それが我々の使命だ、などと言っているのを聞くと、その思い上がりに不愉快になる。著者のさきほどの言葉はこれと同じだが、著者のようにやることをやって言うのであれば、文句はない。
著者は最後に、「日本では文字によるジャーナリズムはあっても、写真によるジャーナリズムはまだ確立されていないという、真実が伝わりにくい奇型な後進国なみのマスコミの組織しか持っていない」と述べていた(1960年代の話である)。その後、日本にもそうしたものは広がっていった。優れた仕事もあった。しかし、その中で目立ったのはフォーカスの類のゴシップ報道だった。何とも情けないことだ。
南ベトナム戦争従軍記 / 続 南ベトナム戦争従軍記
岡村 明彦 著
岩波書店(岩波新書)










