明治の仏僧が記した日本の奇書『チベット旅行記』
「日本の奇書」をインターネットで検索すると、『ドグラ・マグラ』のような推理小説が出てくるが、本書『チベット旅行記』の方がずっと「奇書」に値する。と言うか、本書はれっきとしたノンフィクションだから、書かれている内容つまり事実そのものが「奇」なのである。
「世界の秘密国」チベット
本書の著者は明治時代の仏僧で、仏教の経文を研究するため、サンスクリットの原典に最も忠実な翻訳があるというチベット行きを決意する。「チベットは厳重なる鎖国なり。世人呼んで世界の秘密国と言う。」で始まる本書は、6年がかりとなったそのチベット旅行の顛末記である。
著者が向かったのは、現在のチベット自治区のラサ周辺で、隣国から直線距離でも数百キロの行程となるところ。現在では観光旅行も可能なようだが、簡単に行けるようなところではない。それを明治30年代に敢行したのだから、凄まじいまでの行動力である。それも、カネは餞別頼み、大したコネもなく、コトバも知らない。まさに命懸けで、近年の旅行記、否、冒険記のはるか上の次元を行く。
坐禅で危機を乗り越える
本書のハイライトは、何と言ってもチベットまでの未踏の地を行く往路である。未踏と言っても、実際は地元民の行き来するルートはあるのだが、そもそもチベットは鎖国している。関所を避けるべく、チベット語の習得のために途中滞在していたダージリンから、わざわざ大回りしてネパール経由の山道を行く。あまりに険しく、馬も途中で処分するほかない。国境付近は、地元民さえ「あんな所へは仏様か菩薩でなければ行けやしません。」という難所である。
この間、いろいろ寄り道もしながら、虎の唸り声を聞き、馬もろとも谷底に落ちそうになり、盗賊に荷物を取られ、空気の薄い高原で血を吐き、凍てつく氷河を渡り、雪道で凍死しそうになり、といった難行が続く。上で「命懸け」と書いたが、常人なら途中で100回くらい死んでいるのではないかと思われるくらいだ。
著者は、そのたびに危機を乗り越える(乗り越えていなければ本書は生まれなかった)。乗り越えるにあたって、著者は世俗のことは知らないようなふりをしながら、なかなか如才ないところも発揮するのだが、ここぞの危機で印象的なのが「坐禅」である。積雪する山中で荷物運びの羊と共に坐禅したり、苦しいところで坐禅しているうちに愉快になって歌を思い出したり。坐禅によって往く途を決する「断事観三昧」なる業も披露する。常人ではとてもこうはいかない。
読めば没入すること請け合い
チベットに到着してからも、チベットのさまざまな習俗や、現地の有力者とのやり取りなど、興味深い話が続くのだが、これくらいにしておこう。とにかく、読んでみれば没入してしまうこと請け合いだ。古い割には文章も難しくない。
後からまとめた旅行記だから、この種のものにありがちな脚色や美化もないわけではないだろう。それでも、著者が仏法に真摯に向き合っていたからこその偉業であったことが伝わってくる。まるで信心深くない管理人も、頭が下がる思いだ。
チベット旅行記 上/下
河口 慧海 著
講談社(講談社学術文庫)
本書は嬉しいことに、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/cards/001404/card49966.html)にも入っている。









