版画家エッシャーの心『無限を求めて』

芸術

 本書『無限を求めて』は、独特の平面分割や奇妙な立体等で有名なエッシャーの文章を集めたもの。自身の芸術観を語る往復書簡と演説、(病気のため実現しなかった)アメリカでの講演用の原稿、平面の正則分割に関する論考、そして晩年のエッシャーと親しかったフェルミューレン氏によるエッセイ、という構成である。講演原稿と論考は、(小さな図版ながら)実際の作品をベースにかなり詳細な解説が展開されている。エッシャーの主要な関心が、あの独特なデザインそのものにあったことが良く分かる。
 本書の序文には、「M・C・エッシャーについて、まだほかにも本が必要なのだろうか。そう、その通り、必要だ」とある。これは、本書が、これまであまり公表されてこなかったエッシャー自身が語ったものを中心に編まれているからである。管理人も、エッシャーの作品は随分と見たが、本人のものの考え方は本書で初めて知った。

素材との格闘と複製の願望

 エッシャーは、絵画や彫刻の作品も作ってはいたが、自身を版画家であると規定している。エッシャーと言うと、独特の作風がすぐに思い浮かぶが(と言うより頭の中でイコールで結んでしまうが)、版画家であることもまたそれに劣らず重要だったようだ。
 エッシャーは、「心と物質を仲介する」手という道具による「一筋縄ではいかない素材との格闘や、敵意を持った物質の抵抗を征服していく過程」に喜びを見出していた。また、版画の魅力の一つは「複製の可能性とその願望」にあり、「ひとつしかない」挿絵には不満を抱いてしまうとも言っている。単純すぎる比較かも知れないが、版画は絵画と写真の中間のようなもの。版木は絵画のように1回限りだが、刷った作品は写真のように限りなくとまでは行かないまでも、刷り増しによって世界に拡がり世界を埋めていくことができる。もっとも、刷る工程もあるから一筋縄ではないだろうが。
 エッシャーが版画家であったことは、(本書にはそういう指摘はないものの)経済的な意味でも重要だったのではないか。1950年代に売れてくるまでは、自身と妻の両親の援助に頼っていたという。そのころの年収は、最初に個展が開かれた時期の10分の1にも満たない。相当に厳しかったに違いない。売れない時も、売れつつあった時も、常に「複製の可能性」が開かれている版画であることが救ったのではないか。単純に版画と絵画とを比べて経済的にどういう違いがあるのかは分からないが、売るためには新作を描くしかない画家であったなら、擦り切れていたか、少なくとも創造のための十分な取り組みはできなかったのではないかと思う。

抽象か、それとも象徴か

 エッシャーの作品は、抽象性の高いものはもとより、多少具体的なモチーフを使ったものでも、現実世界との交渉を断っているように見える。他方で、いかにも意味ありげにも見えるところもあり、そこに何かの象徴が込められているのかどうかが注目されてきた。フェルミューレン氏の論稿でも、その点あれこれと論じている。
 フェルミューレン氏は、エッシャー自身が「現実とはまったく無関係な抽象です」と言うのは強弁で、むしろしばしばなされた仄めかしを手掛かりに、何ものかを込めたという解釈に傾いているようだ。しかし、エッシャーの講演等での関心の置きどころを見る限り、少なくとも、現に表現されたもの以外のものを表現する「ために」創作したのではなさそうに思える。「私にとって魅力的で、美しいと感じたものを、明らかに人々は退屈で無味乾燥だと判断することが多い」というエッシャーの嘆きもそれを物語っている。
 実際、世間の人々にはエッシャーの見た美が見えなかった。ほかならぬエッシャーの父親が「壁紙」と呼んでいたくらいだ。しばらく経って、科学者や数学者が別の視点からそれを発見し、大衆は30年かけてそれに気づいた。いや、それはエッシャーの見た美とは別の、それぞれの理解や象徴を読み込んだものだったかも知れない。しかし、エッシャー自身もそれは許容したものか。「あなたは、あなたに見えるものを見るだけです。」というエッシャーの言葉は、目に映るままともとれるし、自分なりに感じたままとも取れるのだから。


無限を求めて エッシャー、自作を語る
M・C・エッシャー 著
坂根 厳夫 訳
朝日新聞社(朝日選書)

書評

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