インターネットで観るvs.現物を観る『とっておき 美術館』

芸術

 本書『とっておき 美術館』は、著者が訪れた個性的な(そして比較的小さな)美術館についてのエッセイ集である。著者は、ドイツ文学の研究が本職という人らしい。海外を含む45の美術館が収められているが、ルーブル美術館や国立西洋美術館といった有名どころは初めから対象外、東京近辺のものでも管理人が訪れたことのあるのは半数程度である。地方になると、芹沢銈介美術館(静岡市)、栃木県立美術館(宇都宮市)くらいのものか。

芸術家の「魂の棲み処」

 内容は、美術館の来歴や建物、ゆかりの芸術家、収蔵品、たまたま開かれていた企画展、周辺の風物、とバラエティに富んでいて、文章もなかなか気が利いている。あとがきに「個人美術館となれば、まさしく個性そのもので……」とあるように、芸術家個人にスポットを当てたものが多い。〇〇氏の作品が寄贈されたことで開設された「〇〇美術館」の類はもとより、物故した芸術家の「魂の棲み処」となっているようなところも少なくない。
 本書中には、さまざまな芸術家やその作品が紹介されているのだが、それに関して本書には一つの「欠点」がある。巻頭にある4頁の口絵を除いて、作品の写真が一つも掲載されていないのだ。しかし、本書が出版された1996年ではともかく、現在では「欠点」とは言えないかも知れない。と言うのは、今や言葉で情報を与えられさえすれば、インターネットで簡単に検索できてしまうからである。

インターネットで観る

 まず、文章だけ読んで、どんな芸術家なのか、どんな作品なのか、想像してみる。それから、ネットを検索してみて、実際にどんなものか見てみる。恥ずかしながら、画風に変貌に変貌を重ねた堂本印象、長崎の町をこよなく愛したという野口彌太郎などは、本書で初めて知った。カッサンドルの粋でモダンなポスターがカッサンドルの作品であると知ったのも、本書によった。
 その作家の(さらには同派の作家まで広げて)主要な作品を簡単に通覧できてしまうのだから、ある意味、実際に美術館に赴くよりも作家と作品に親しむことができるとも言える。少々(かなり)安直ではあるが、現代風の楽しみ方ではあろう。美術館で音声ガイドを貸してくれることがあるが、それの逆バージョンと言えようか。

作品現物を観る

 そうは言っても、実際に作品現物を観る感慨はネットでのそれとは比べものにならない。スマホのYoutubeと映画館の映画との違いのようなものだ。管理人が現物を観て最も感銘を受けたのは、まったく有名どころではない、どこかの小さな美術館にあった大きな絵だった。畳一畳より大きなキャンバスに漁港の夜景が描かれているのだが、隅に少々の明かりが灯っているだけで、ほとんどの空間は夜空の黒と海の黒で覆われていた。要するに、絵のほとんどが真っ黒なのだ。失礼ながら、黒板のようである。
 それが、こういう連想を誘った。この絵を黒板代わりに使って(もちろんレプリカで)、小学校の6年間を過ごした子供の感受性は、普通の黒(濃緑)の黒板を使った子供たちのそれとは随分と違ったものになるのではないか。そんなことは作者はまったく考えなかっただろうし、失礼の上塗りのような話でもあるのだが、それくらいにその絵は「黒板」に見えたのだ。現物でなければ、そんなことは想像もしなかっただろう。


とっておき 美術館
池内 紀 著
講談社

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書評

Posted by admin