幸福へのアルファにしてオメガの途?『小公女』
分かりやすい物語、つまり大衆や子供などを対象とした物語を読むとき、主題の背後にあって無意識のうちに前提とされているらしい世界観が何であるかが気になる。いや、世界観とは気取りすぎで、その時代精神がどっぷり浸かっている世の中の約束事、良くも悪くも人の生きざまを決定づける力の源泉。例えば、『みにくいアヒルの子』であれば美しい白鳥のDNAすなわち血統、『水戸黄門』であれば印籠が象徴する権力、というようなものである。
あまり指摘したくないことではあるが、本作でのそれがカネであることは見やすい道理である。確かに、セーラは安楽な生徒から絶望的な小間使いに転落した後も、それより下層にいる友人を見捨てはしなかった。書物や空想の世界に遊ぶことを忘れはしなかった。しかし、残念ながら、それらのことでは事態の打開には程遠く、むしろほとんど破滅の縁まで進んでいたのである。そこからの生還を可能にした動力は、そこへの転落のときと同様にカネであった。
さて、このようにカネの力を指摘したとしても、これを是としているわけではない。むしろ、結局のところセイラが幸福になるのであれば、カネのような媒介項なしに王道を通って幸福になってほしかった。ところが、本作には「幸福になるための資格」とでも言いいたくなるものが幾つか描かれているにもかかわらず、それらが巡り巡って幸福をもたらしたというわけでもない。少々肩透かし。まさか、カネの威力を際立たせるためでもあるまいが。
小公女
フランシス・ホジソン バーネット 作
畔柳 和代 訳
新潮社









