星新一による「文学的敵討ち」の書『人民は弱し 官吏は強し』
本作『人民は弱し 官吏は強し』の作者は星新一、言わずと知れたショート・ショートの名手である。しかし、本作はショート・ショートではなく、父親である星一氏(以降、「星氏」は一氏の方を指す)の事業の成功と挫折を描いた伝記小説的ノンフィクションである。管理人は本作を手に取るまで、星新一の父親がこれほどの事業家であったことは知らなかったし、このような理不尽な運命に翻弄されていたのだとはなお知らなかった。
成功者に立ちはだかる「敵」
さて、本作は主人公である星氏の伝記としても珍しい。と言うのは、こういう実業家の伝記というのは、大抵、書かれた時点では伝説化しているくらいの成功者を対象とするのが普通だが、本作は必ずしもそうではないからだ。
確かに、星氏は製薬事業者として、国内でのモルヒネ製造を成功させたのを皮切りにアルカロイド事業を手広く行うなど、かなりの成功を収めるのだが、最終的には「敵」に敗れてしまうからだ。もっとも、星新一があえて小説化したのも、まさにそこに動機があったのだろうが。
本当の「敵」は誰だ
本作のタイトルとなった「人民は弱し、官吏は強し」は、本作の最後でいよいよ窮地に追い詰められた星氏が発した言葉である。執拗かつ陰湿な攻撃を続けた官憲との関係を端的に言い表したものであるが、本作を読めば分かるとおり、話はもう少し複雑だ。
本作で常に星氏の前に立ちはだかったのは「官吏」であり、その中にはメンツを潰されてただ報復しようとしただけの者もいたが、そればかりではなかった。星氏の努力を知って彼に同情的な者はいたし、それなりに公正に職務を執行した者もいたし、そうでなくても立場上ほかにしようのなかった者もいた。要するに弱かった。
強かったのは、すなわち星氏の「敵」は、政治と、政治に取り入ってこれを利用した「人民」であった。もう少し正確に言えば、星氏も(自らの努力という正攻法によったとはいえ)台湾総督府の民政長官であった後藤新平の覚えがめでたかったのだから、政治の庇護を受けていなかったわけではない。しかし、政権争いに敗れた後藤もろとも敗れたのが星氏であった。新潮文庫版の「解説」で(後藤の孫に当たる)鶴見俊介氏が述べるとおり、星氏は「兄貴分をまちがってえらんだ」のだ。いつの世も、実にくだらないことだ。
筆で「敵」を討つ星新一
しかし、敗れた理由はそれだけではない。星氏自身も(読んでいてもどかしくなるくらい)一本気にすぎた。星氏の考えは、「良い物を作れば売れる」、「正しいことをすれば報われる」というようなもの。管理人も実にそうあって欲しいと思うのだが、やはり現実はそうはいかない。少なくとも、星氏は外から向かってくる一方的な敵の存在を軽く見すぎた。自らつかみ取った成功で膨らんだ自身の大きさを軽く見すぎた。
それにしても、本作の後半、官憲がなりふり構わず、あらゆる手段を使って星氏を追い詰めてゆくところは、実に酷い。読んでいて辛くなるくらいだ。書いている星新一も同じ思いだっただろう。しかし、筆を緩めるつもりも、その必要もなかったはずだ。なぜなら本作は、父親の「敵」に対する「文学的敵討ち」の書なのだから。
人民は弱し 官吏は強し
星 新一 著
新潮社(新潮文庫)









