一万時間が天才を作るのか?『天才!』

心理

 本書『天才!』の著者はマルコム・グラッドウェル、本を出せば当たるという超ベストセラー作家だ。なるほど、話の展開は巧みだし、畳みかけるようなエピソードで読者を飽きさせず、納得させてしまう技はさすがというほかない。本書の中でも特に有名になったのは「一万時間の法則」、どんな分野であれ他から抜きん出るためには一万時間の訓練が必要だという「法則」だ。

「一万時間の法則」では足りない

 さて、本書を一読して、なるほどと納得させられそうになるのであるが、実際に納得させられる読者は案外と少ないのではあるまいか。肝心の「一万時間の法則」にしても、いみじくもカバーに「どんな才能や技量も、一万時間練習を続ければ”本物”になる」と書かれているように、「一万時間やれば成功する(十分条件)」という”凡人のための希望の法則”のように読まれているフシがある。しかし、本書に(ハッキリと)書かれているのは、「一万時間やらなければ成功しない(必要条件)」という、かなり平凡な事実だ。むしろ、ある分野を本当に極めるには、一万時間ではとても足りないだろうから、たった一万時間でそこに達したとすればそれこそ「天才」なのではないか、とひねくれてみたくもなる。
 それに、本書は類書に比べると少々エビデンス不足、エピソード頼みだ。いくらエピソードが積み重なってもそれが何かを証明するわけではない。1つのエピソードの陰には、それと真逆のエピソードが数多く隠れているかも知れないからだ。また、エピソードの中にはビートルズやビル・ゲイツといった有名どころが出てくるのだが、一万時間が彼らの成功を作ったとは思えない。こう言うと語弊があるかも知れないが、ビートルズが演奏技術そのものので、ビル・ゲイツがプログラミング技術そのもので、抜きん出ていたとは思われない。一万時間が彼らの基礎を作ったのは確かだろうが、彼らはもっと本質的な何かを持っていた。我々が「天才」からイメージする何か、あるいは我々が気づかない何か、それを本書が教えてくれるわけではない。

「マタイ効果」でも足りない

 もっと納得感があり、かつ有益なのは、「マタイ効果」として紹介されるアイスホッケー選手の生まれ月に関する考察だ。プロリーグの選手の生まれ月を調べると、早生まれに比べて遅生まれが圧倒的に多いというのだ。年少時の数か月の成長の違いが競技のパフォーマンスに影響するだけはない。その違いが、上のクラスに選抜されるかどうかに影響し、そこでの経験が、更に上のクラスに選抜されるかどうかに影響する。上に上がれば上がるほど、練習や実戦の時間、それも優れたコーチや仲間に囲まれた質の高い時間を過ごす機会に恵まれることになる。こうしたことが実際にあるとすれば、機会の平等という観点からも、早生まれのタレントを埋もれさせないという観点からも、無視できないことだ。
 ただ、これは「プロリーグ」というレベルの話であり、真の「天才」あるいは「outlier」(外れ値あるいは異常値という意味)の話とはいい難い。要は、ある種のチームスポーツは、習熟に不可欠な設備と環境のワクで画された、出入りの少ないクローズドな世界であるということだ。もっとオープンな世界では、数か月の違いどころか数年のハンディを易々と飛び越えてしまう例がいくらでもある。例えば、日本では17歳でタイトルを獲った将棋の藤井棋聖が有名だが、世界を見渡せばわずか15歳で世界タイトルを獲った囲碁のイ・チャンホのような例もある。彼らとその他大勢との差が何であるのかは、ビートルズやビル・ゲイツの場合と同様、謎のままだ。

 今回は少々辛口になってしまった。実際、才能と努力の関係や「氏か育ちか」の問題、一万時間の中身はどうなのかををきちんと知ろうとするのであれば、それなりの専門家が書いた他の本を読んだ方が良いと思う。しかし、本書は面白いことは面白い。こういう本は、あまり肩ひじ張らずに楽しむのが良さそうだ。


天才! 成功する人々の法則
マルコム・グラッドウェル 著
勝間 和代 訳
講談社

書評

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