性善説と性悪説と捏造研究の歴史『Humankind 希望の歴史』
性善説か性悪説か、本書『Humankind 希望の歴史』の主張は単純にそれだけの話ではない。しかし、旧約聖書以来の西洋思想に染みついた性悪説とそれがもたらす(自己成就予言的な、あるいはノセボ効果的な)害悪を正面から叩く、それも事実と証拠に照らして叩く、というのは実に小気味よい。それでは性善説、良く言えば道徳的で、悪く言えば自らを「やさしい家畜」化した人間を前提にすると、どのような社会制度や未来設計が可能なのか、という話になると、これも一定の事実に基づいてはいるのだが、正直なところ大々的に展開するには少々お伽噺チックに聞こえてしまうのだが。
性悪説に関する捏造研究
本書の白眉は、我々に性悪説を植え付けた著名な研究をことごとく切って捨てる上巻の数章である。立場や肩書によって人は残虐になることを示したはずの「スタンフォード監獄実験」、権威への服従を示したはずの「ミルグラムの電気ショック実験」、「未開人」の残虐性を示したはずの様々な資料、これらについての当初は封印されていた原資料に丹念に当たってみると、多くの捏造や改ざん、良くて理解誤りがあって、到底結論を維持できないのだという。
こうした話が現代の研究水準で十分に確認されているのかどうかは分からないが、著者が部分的に引用しているデータだけでも、結論が揺らいでいることは分かる。こうしたことは、必ずしも学者が一般人より性悪だと自己証明してしまったわけではなく、初めから性悪説バイアスに浸っていたという面もあるだろう。同様のバイアスは後の研究者にもあったはずで、実験そのものの非倫理性から追試ができなくなったことも、是正を困難にしたことだろう。いずれにしても、これら研究誤りが確かなら、心理学の重要部分を書き換えなければならないはずであるが、どうなのだろう。
割り切れない研究結果と人間の本性
こうした研究誤り(であるとして)のショッキングさ加減は、元の研究のショッキングさ加減と比例する。その最大は、ほとんどの被験者が易々と最大レベルの(偽)電気ショックを与えた、というミルグラムの実験だろう。ただ、この実験の評価については著者自身が重大な留保をつけている。確かに、実験の方法に問題はあったし、半数近くの被験者は電気ショックが本物でないと気づいていたのだが、それでも多くの被験者が本物だと信じながら最大レベルの電気ショックを与えたことは事実だというのだ。つまり、実験結果の大筋には、誤りはなかったらしいのだ。
著者は、そうであるとしても実験結果の解釈に問題があったと言う。被験者は科学や科学者という権威に服従したわけではなく、(「もう一人の被験者」の苦痛の声に葛藤を抱きながら)科学的実験という価値ある事業を行っている科学者に協力したかっただけだというのだ。これならば、悪への服従ではなく、善の追求ということになる。ただ、仮に人間の本性としてはそうでも、この実験のような特異な環境に置かれれば迷走し出すという事実に変わりはない。そして現実にも、そうした特異な環境は戦争や動乱の際にはいつも現れていたことだろう。「地獄への道は善意で舗装されている」、これは半ば常識に属することである。
人間の本性に関する個人的感想
さて、それでは管理人は個人としてどう考えるか。これは本書を読んだからというのではないが、著者ほどではないにしても、やや性善寄りのものであるという気がしている。これは平和(すぎる)現代の日本に生きていることが影響していようし、注釈すれば、善も悪もあって振れ幅も小さくはないが平均してということだ。簡単に言えば、人間の本性がホッブスの言うようなものであれば、「リヴァイアサン」などが生じるずっと以前に人間など絶滅していたはずだからだ。
実際のところ、悲惨な事件や悪辣な人間というのは、ほぼ新聞やテレビやネットの中でしか見たことがない。個人の生活の中では、酔って悪態をついているサラリーマンや、威張り過ぎの上役くらいが悪の上限である。少なくとも、電車やカフェで隣に座っている人に殴られたり刺されたりしたことはないし、その危険を感じたこともない。それどころか、大抵の人はそれなりの人格者である。これは管理人が生きる狭い世界の中でのことであるから、どこまで外に押し広げることができるのかは分からない。しかし、もし人間の本性が性悪であるとするなら、いくら社会の制裁があるからといって、いくら人の目があるからといって、これは少々おかしいのではないか、というのが正直な感想である。
Humankind 希望の歴史 人類が善き未来をつくるための18章 上/下
ルトガー・ブレグマン 著
野中 香方子 訳
文芸春秋









