無で始まり無で終わる栄枯盛衰の物語『百年の孤独』

文学

 本書『百年の孤独』は、南米コロンビアのノーベル文学賞受賞作家ガルシア・マルケスの代表作。本作が受賞の決定打になったことは疑いないが、いかにも特異な作品である。受賞理由は「現実的なものと幻想的なものを結び合わせて、一つの大陸の生と葛藤の実相を反映する、豊かな想像の世界」を創りだしたということだそうだが、これを読んでも、いや、読むとなおさら、どういう点が評価されたのか良く分からない。そういう時は特に、他人の評価など気にせず、自分が感じたこと、考えたことに深く入り込むのが良い。

脈絡のない壮大な構造物

 本書の内容を一言で言うなら、個々の事件やエピソード、それに巻き込まれる個人や家族、その背景としてある架空の街マコンド、という壮大な構造物といったところ。読んで分からないところは一つもないが、しかし、ひたすら脈絡のない絵巻物が続く。いや、背景をなす脈絡がないことはないのだが、そういうところは霞んでしまう。
 事件やエピソードは、その個人やその家族の下で起こるべき必然性はないし、個人や家族の生きざまも時代時代のマコンドでなくても構わない。もちろん、その生きざまは当時のマコンドの枠組みの中で起きているに違いはないが、それは管理人の生きざまが20世紀後半から21世紀の初頭にかけて起きた、というのと大差ない。

無で始まり無で終わる

 では、マコンドの上に何か抽象的なトピックがあるかというと、そうでもない。少なくとも希薄である。そのうえ、マコンドは他から隔絶された陸の孤島で、開発される物語以前には存在せず、滅亡した物語以降も存在しない。空間的にも、時間的にも、限りのある舞台なのだ。
 物語は異様に細かいディティールで語られるのだが、それはすべてマコンドという箱庭で生起し、無で始まり無で終わる。100年にわたる一族の栄枯盛衰はギラギラとその存在を主張するのだが、果たして本当に存在したのか。そうしたこと自体がまさに本作の一大特徴で、そこに読み込むべき何かがあるのだ、ということかも知れないが。

栄枯盛衰の果てに残るもの

 さて、このように物語ではマコンドという時空の箱庭での栄枯盛衰が語られたわけだが、これをもっと拡大して、国や地球や宇宙全体にしても、話は同じだ。結局のところ何もないところから始まって何もないところで終わるのだから。やはり長々と栄枯盛衰が語られた『夜明け前』では、期待とは大分違った「夜明け」が残ったのだが、こちらは本当に何も残らない。
 これを全てが無に帰したと考えるか、そこで人が生まれ生き死にまた生まれということがあった以上は、そのこと自体は変わらず存在し続けると考えるか。おかしな哲学迷宮となってしまったが、管理人としては、ひとまず後者なのだと考えておきたい。


百年の孤独
G・ガルシア=マルケス 作
鼓 直 訳
新潮社

書評

Posted by admin