文章作法の必読書『論文の書き方』
手持ちの岩波新書は古いものが多いが、300冊くらいあるだろうか。今でこそ普通の新書という感じの岩波新書も、昔は少々格が高かったと思う。実際、古典的な価値を認められて岩波文庫に格上げされたものもあったはずである。そこで、しばらく離れていたものを再読しようとセレクトしてみたのだが、意外に少なくてがっかりした。ひとまずの候補は、E.H.カー『歴史とは何か』、宇沢弘文『自動車の社会的費用』、田中克彦『ことばと国家』あたり。だが、筆頭は本書『論文の書き方』である。
ただの学者でない社会学者の文章論
著者の清水幾太郎氏は社会学者であるが、ただの学者ではない。むしろ、戦後の社会運動家としての顔の方が良く知られているのではないか。当然、左派の急先鋒だったわけだが、晩年に大きく右転回したのは何があったのか。ただ、そのあたりの事情にはあまり興味がない。興味があるのは、本書でも触れられているように、著者が新聞の社説やコラムなど、一般向けの文章も良く書いたことである。この著者にして本書あり、というところだ。
本書のタイトルは「論文の」となっているが、必ずしも学問的な著作に限っているわけではない。著者自身の言葉によれば、「知的散文」。文学的な文章ではなく、単なる報告文でもない、「自分でしっかり考えたことを他人にしっかり伝える」ための文章、というごくノーマルな文章の得難い手引きになっている。
真似はともかく参考にしたい文章
本書には、「誰かの真似をしよう」という章がある。古い美文のようなものではダメだが、自分と思想傾向の似た先達の文章を真似ることは、文章修養に大いに意味があるという。管理人は誰かの文章を真似て文章修養するほど真面目ではなかったが、著者の文章、それも学問的著作の文章ではなく、本書くらいの一般向けに書かれた文章にはずっと一目置いていた。
著者の文章は耳で聞いただけでも理解できるように書かれているから、少々冗長に感じられることがある。管理人はもう少し淡泊な文章が好みだから、必ずしも真似ようとは思わないし、簡単に真似できるものでもない。しかし、どうしても平板になりがちな抽象的な内容の文章に、論理の陰影がくっきりと刻み込まれ、具象物について書かれたような色というか味というかが感じられる著者の文章は、大変に参考になる。
世間にありがちな文章を斬る
本書を初めて読んだのは学生の頃だったろうか。その後も何度か再読しているはずだが、その度に教えられるところが多かった。というか、他の人があまりはっきり言わないことをズバリ書いていたことに目を惹かれた。著者は、順接にも逆接にも並列にも使える「が」を警戒せよという。そのどれでもない前提や条件を書いておこうとして「が」が多い管理人は、いつも気になる。著者は、書き言葉は話し言葉と違って孤立無援である、言葉だけで相手を説得しなければならい、という。書いたつもりの思い込みがないか、いつも気になる。
日本語を外国語のように取り扱おう、文章は「つくりもの」でよい(むしろそうではなければならない)、といったことも、学校教育の常識からは出てこない発想である。母語である日本語に寄りかかり、話すように「自然」に書く、というようなことが教えられているとまでは言わないが、そこから一歩も出ていないだろう。ネットに溢れている文章を見れば分かる。
論文の書き方
清水 幾太郎 著
岩波書店(岩波新書)