完全自由の先の断崖絶壁『村に火をつけ、白痴になれ』
本書『村に火をつけ、白痴になれ』は、無政府主義研究者である著者による伊藤野枝の(きわめて軽い文体による)評伝である。野枝については大杉と共に『科学の不思議』で触れたことがあるが、本書はその主義と生き方そのものを伝える本である。表題は小説の中での話のようで、実際に村に火をつけて白痴になった事実はないようであるが、そんなことがあってもおかしくないような生きざまが本書に記されている。カバー写真の不敵な「つらがまえ」も実に立派である。だがしかし……
無政府主義と女性解放論
野枝と大杉と二人を括ると無政府主義ということになるが、野枝自身は女性解放論者の先駆け、と言うより一切の拘束を排除する完全自由を求めた思想が先走りしすぎたところが本領なのだろう。そしてその思想を地で行ったような、あるいは実践から思想が出てきたような生きざまが本領なのだろう。無政府主義を別にして、女性解放論として見て見れば、いかにも過激ではあるものの頷けるところが多々あるのは確かである。
しかし、冷静に考えて見ると、7割は正しくても残りの3割が滅茶苦茶、と言うより残りの部分がポッカリと欠けている。自由の先が断崖絶壁でそのまま走っていけば落ちるしかない。政府を壊した先がない無政府主義と似ていると言えようか。二つの話の接点とも言える大阪の米騒動が良い例である。高騰したコメをかっぱらい、火をつける。勇ましいが、その後が続かない。続きようがない。困った挙句の暴発で、何の考えも無いのだから。
意外なことに大モノではなかった?
著者は研究者であると同時に野枝のファンを自認しているから、思想についても生きざまについても、少々、と言うよりかなり野枝に甘いところがある。あちこちに「野枝の圧勝」というのが出てくるが、そんなところで勝ってどうするの、という感じである。例えば、仲間うちのいざこざで殴りこまれたが逆襲し、ボコられた相手は泣きながら帰っていった云々。何というか、却って小モノ感が出てしまっている。
帯にも書かれている「あなたは一国の為政者でも私よりは弱い」の啖呵も、一見したところは相当なものである。相手は時の内務大臣後藤新平。ところが、これは面と向かって言い放ったのではなく、手紙に書いただけの話である。それも、大杉がいつものように留置場に入れられたのにオロオロして、警察の元締めは内務大臣だから後藤に掛け合ってやれという単純思考らしい。結局、大杉はすぐに釈放され、後藤には会うこともなく終わり。一体何をやっているのか、コントのようなものである。
意外なことに独立独歩ではなかった
ともあれ、野枝の思想と生きざまの破天荒ぶりは相当なものである。自分がそうしたいかと言われればそうでもないが、その迫力に憧れる人は少なからずいるのだろう。だが、社会にそれほど影響を与えたか、後世にそれほど影響を与えたかと言えば、否だろう。本書を見ても、スポットが当たるのはその特異な思想や人物像であって、その後何かが変わったというような話は一つも書かれていない。言わば、一発花火のようなものである。
その原因も、特異な野枝の生きざまにあったのだろう。人を人とも思わない突進力はあるものの、野枝自身、万事を自身の力で切り拓いていく独立独歩の一匹狼ではない。そうでないどころではない。むしろ「他人に頼る」、「他人を欲しがる」生き方をしてきた。自由を標榜しながら「群れ」を求めていた。それはいかにも身勝手だ。痛快痛快と思いながら読み進めてきた割には、どうも辛い評価になってしまった。期待が大きすぎたのかも知れない。
村に火をつけ、白痴になれ 伊藤野枝伝
栗原 康 著
岩波書店