本の力、思想の力『一四一七年、その一冊がすべてを変えた』
本書『一四一七年、その一冊がすべてを変えた』は、まさに「数奇な運命を辿った本」についての本である。その本とは、紀元前一世紀に生きたルクレティウスの手になる、原子論的自然学を説いた『物の本質について』。この本自体が大変な珍本で、近代科学につながる物質や宇宙の問題、哲学、宗教、人間社会の諸問題を長詩の形式で著したものだ。この本は、長くその行方が知れなかったが、1417年になって南ドイツの修道院で写本が発見され、歴史の表舞台に戻って来た。
抑圧と忘却からの復活
本書は、千年にわたる中世キリスト教世界の中で抑圧・忘却されていた原子論の復活と流布の顛末を、人文主義者にして「ブックハンター」であったポッジョによる『物の本質について』の探索と発見を通して追ったものだ。何百年も昔の話だが、推理小説を思わせる迫真のノンフィクションで、ピュリッツァー賞・全米図書賞受賞というのもうなづける。
タイトルには「一四一七年、その一冊がすべてを変えた」とあるが、それは「世紀の大発見」として喧伝されるような大事件ではなかった。だが、原子論の復活によりルネサンス期の人々が別様の考え方をするようになり、その後の人類が辿る思想と歴史のコースが大きく変えられた。
『物の本質について』の危険な思想
『物の本質について』の主張は、大変に現代的だ(そして当時にあっては大変に異端だ)。本書は必ずしもルクレティウス(あるいはエピクロス)の思想内容にスポットを当てたものではないが、少し追ってみよう。
- 「万物は目に見えない粒子でできている」、「物質の基本となる粒子―『事物の種子』―は永遠である」。まずは、原子論の基本的な見方である。
- 「宇宙には創造者も設計者もいない」、「自然は絶えず実験をくりかえしている」。いきなり神の摂理を否定してしまうのだから、かなり危険である。後半は、ダーウィンの自然選択説の先取りのようだ。
- 「宇宙は人間のために、あるいは人間を中心に創造されたのではない」、「人間は唯一無二の特別な存在ではない」。科学的にはまったくそのとおりだが、当時の人間中心の世界観には真っ向反する思想である。
- 「死後の世界は存在しない」、「組織化された宗教はすべて迷信的な妄想である」。これは現代の哲学・思想・科学をもってしても解決しない(できない)大問題である。いずれにしても、当時の宗教には大きく打撃を与えたに違いない。
要は、万物は原子から自然に創られるもので、それは人間も同じこと。人間が死ねば原子に戻るだけのことで、霊魂など残らない。だから死後の世界や罰に思い悩むことなく、現世において幸福を追求すべきである(エピキュリアン!)、ということだ。
知らない本が影響する
以前、知らない本が影響することはない、それはオカルトだと書いたが、それは個人的な読書経験の枠内での話である。もっと広くとれば、知らない本が影響することは大いにあり得る。『物の本質について』もその一冊だ。確かに、近代思想は『物の本質について』の直系子孫というわけではなく、これを含めた数多の思想からなる産物である。それでも、この本が、ニュートンやダーウィン、ジェファーソンに直接間接の影響を与えたことは確かである。
さらに話を広げれば、ルソーやマルクスなど、政治や社会に関する本は、もっと目に見える影響を与えている。これらはもちろん、多くの人が読んだわけであるが、読む以前から、いや生まれる以前から、その思想を受けた人々や社会や制度を通して多大の影響を受けてきた。そのほかにも、思想のエポックを画したような本は、けっして少なくない。本は実に怖いものだ。時の権力者が禁書や焚書に励んだのもうなずける。
一四一七年、その一冊がすべてを変えた
スティーヴン・グリーンブラット 著
河野 純治 訳
柏書房