ロジック明晰な音韻論の古典『古代国語の音韻に就いて』
本書『古代国語の音韻に就いて』は、国語学者である著者が、古代の文献に使われていた万葉仮名の分析により、古代の日本語の仮名遣いを明らかにしつつ、それと表裏一体をなす音韻を推測していく、というもの。説明のベースには、江戸時代の国学者であった契沖阿闍梨や石塚龍麿の研究が用いられているが、それとは別に著者自身も同様の事実に気づいていたというから、推測を免れないとはいえ、結論はかなり確かなもののようだ。そして何より、ややこしい題材を良く解きほぐしたロジックが明快である。
仮名遣いから万葉仮名を経て音韻へ
まず、最初の推測はこうである(これは契沖らの研究による)。「いろは」47文字のうち、仮名遣いでは区別されているが現在の発音では区別されていないものが3組ある。「い」と「ゐ」、「え」と「ゑ」、「お」と「を」である。しかし、古代文献の万葉仮名では、これらは書き分けられている。これらは結局、ア行とワ行の違いということが分かり、そこからもう一つ、ア行の「え」とワ行の「え」が、同じ仮名遣いであるにもかかわらず、万葉仮名では書き分けられていたことが判明した。
ここまでのところは、仮名遣いなどの手掛かりがあったわけだが、ア行の「え」とワ行の「え」の書き分けのような例が出てくると、同様のことが他の仮名にもあったのではないか、という疑問が起きてくる。これが次の推測である(これは石塚らの研究による)。実際に調べてみると、すべてではないが(濁音を別にして)13個の仮名については、万葉仮名では書き分けられていた。すなわち、仮名で書けば同じものが、万葉仮名では甲類と乙類(それぞれ複数ある)に分かれており、どの言葉の中で現れるかによって、いずれか一方の類が決まって用いられていたのだ。
では、そもそもなぜこのような使い分けがなされたのか。それが本書の主題であるのだが、言うまでもなく、音韻が違っているからこそ書き分けたに違いない。ア行とワ行の方は、仮名の違いと音韻の違いはもとより関連している。実際の発音も想像がつく。残りの13個の方は、古代の発音が実際にどのようなものであったのかはっきりしないが、手掛かりはある。万葉仮名は漢字の音を写したものだから、支那語の発音(ただし写した当時の)が分かれば大体の見当がつく……。
日本語の論理的表現力
本書の内容は、おおむね以上のとおりなのだが、冒頭でも述べたとおり、特筆すべきはそのロジックの明快さである。仮説の立て方や推論の過程が適切で、文章も二義を許さない。本書は、元が講演速記であるから、少々繰り返しが多くなっているが、これなら聞いただけでも十分に理解できただろう。本書にしても、中学生くらいなら十分に論理を追っていけるだろう。
よく、西欧語と比較して、日本語はロジカルな文章が書けないなどという話を耳にすることがあるが、それは書き手のレベルが低いだけであろう。日本語には感情や風情を表現するだけにとどまらない、十分な論理的表現力がある。優れた著者の、優れた著書に出会うと、このことを強く感じる。
官僚の文章と文学の文章
日本語のロジックの話が出たついでに、逆の例に触れておきたい。それは、どこかの大学の文学系の教師が書いたウェブ記事で、官僚が部下の起案について「この文章は16通りの意味にとれる曖昧なものだ」と指導したという話を下敷きに、一義的に文意が定まる文章など意味の豊かさに欠けた程度の低いものだ、いかにも官僚の発想だ、と言って官僚式の文章作法を貶したものである。しかし、16通り(2の4乗であろう)に意味のとれる文章など、端的に間違っているのであり、文学の世界でも失格であろう。
係り受けがはっきりしないというような文章の曖昧さと、明晰な言葉と文章から滲み膨らんでゆく意味の豊かさは、まったくの別物である。そもそも文学での文章と官僚の文章とでは、求められるものが異なる。また、文学を生業にする者が官僚的文章を書けなくてよいわけではないし、官僚が文学的に豊かな文章を書けないわけでもない。このような教師が大学で教鞭を執っているのかと思うと、暗澹たる気持ちになる。学生こそ災難である。
古代国語の音韻に就いて
橋本 進吉 著
岩波書店(岩波文庫)
本書は、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/cards/000061/card510.html)に入っている。









