アウシュビッツの極限悪と救いの途『夜と霧』

心理,歴史

 世の中には「絶望的な体験」とでも言うしかないものがある。幸いにして、管理人は今のところ、そこまでの体験はせずに済んでいる。それでも、戦争や内乱はともかくとして、自然災害、人的災害、犯罪、テロリズム……といった事件に巻き込まれる可能性は、今の日本でもないわけではない。事故や病気でそれまでの生活が一変してしまう、ということまで含めて考えれば、見て見ぬ振りをしているだけで、実はすぐそこにあると言った方が正しいのかも知れない。
 ナチスによる集団虐殺の舞台となった強制収容所での体験などは、その種の体験のうちでも極限と言えるものだ。中でも悪名高いアウシュビッツでは、三百万人もの人命が絶たれたという。しかし、その行き着く先がまさに「虐殺」であったが故に、これを語れる者はほとんどいない。その「ほとんどいない」語り手の一人が、本書『夜と霧』の著者であるV.E.フランクル氏である。本書は、ユダヤ人である著者がアウシュビッツ収容所に囚われ、奇跡的に生還するまでの稀有の体験を記録したものだ。

心理学者の体験と探究

 本書には、強制収容所に関する一般的な記述はあまりない(そのため、邦訳にかなり長い解説や写真が付録として付いている)。中核である、極限状況における個々の具体的な日常(「非日常」というべきか)の描写に徹している。飢えや寒さについて、強制労働について、疫病について、仲間の死について、そして絶望……。
 それらを得難いものとしたのは、本書の原題が「強制収容所における一心理学者の体験」となっているとおり、著者が心理学者であったことにある。しかも、その心理学者としての心理分析は、決して後付けのものではない。遂には著者を救うことにもなる「トリック」として、強制収容所の極限状況の中で日々実践されていたものなのだ。

私のあらゆる思考が毎日毎時苦しめられざるを得ないこの残酷な強迫に対する嫌悪の念に私はもう耐えられなくなった。そこで私は一つのトリックを用いるのであった。突然私自身は明るく照らされた美しくて暖い大きな講演会場の演壇に立っていた。私の前にはゆったりとしたクッションの椅子に興味く耳を傾けている聴衆がいた。……そして私は語り、強制収容所の心理学についてある講演をしたのだった。そして私をかくも苦しめ抑圧するすべてのものは客観化され、科学性のより高い見地から見られ描かれるのであった。――このトリックでもって私は自分を何らかの形で現在の環境、現在の苦悩の上に置くことができ、またあたかもそれがすでに過去のことであるかのようにみることが可能になり、また苦悩する私自身を心理学的、科学的探究の対象であるかのように見ることができたのである。

極限悪の中の人間

 さて、管理人が本書を読んでいた時に考えていたことは、このような残酷さや不正義を招いた人種差別、戦争の悪、人間そのものの悪……と言いたいところだが、これは綺麗事のウソである。正直なところ、とてもそんな余裕はなかった。実際に考えていたのは、「自分ならこの危機をどうやって乗り超えようとするか、そもそも乗り超えられるのだろうか」ということだ。本を読むだけでこうなのだから、実際に強制収容所(のような環境)に放り込まれれば、どうなってしまうか分からない。
 そう考えたとき、肝に銘じておきたいが、同時に怖ろしくもある一節がある。「これらすべてのこと〔パンの小片をくれた労働監督や、仲間の囚人に不正を働く囚人がいたこと〕から、われわれはこの地上には二つの人間の種族だけが存するのを学ぶのである。すなわち品位ある善意の人間とそうでない人間との『種族』である。そして二つの『種族』は一般的に拡がって、あらゆるグループの中に入り込み潜んでいるのである。」ユダヤ人として極限悪に晒された著者が、あえて「種族」という強い言葉を使う意味は重い。問われているのは、その人が積み重ねてきた生き方そのものである。


夜と霧 ドイツ強制収容所の体験記録
V.E.フランクル 著
霜山 徳爾 訳
みすず書房


同じ出版社から池田香代子訳の新版が出ているが、翻訳だけでなく底本そのものが変わっている。「それには1人の哲学者と彼を取り巻く世界の変化が反映されている」ということだ。

書評

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