現代政治を斬る壮大な道徳理論『社会はなぜ左と右にわかれるのか』
本書『社会はなぜ左と右にわかれるのか』は、最近読んだ本の中で最も有益なものの一つだった。本書はもともと、政治的リベラルであった著者の、なぜ(アメリカの政治において)リベラル派は保守派に負け続けているのか、という問題意識に端を発している。それを、著者の専門である社会心理学の観点から、さらには哲学や人類学や遺伝学やまで総動員して探っていく。それらの幾つかは、専門的に見れば未だ仮説の域を出ないものであるが、それだけに従来はなかった視点であって刺激的なのだ。
モラルを形作る6個の「道徳基盤」
本書で興味深い点はいくつもあるが、まず、道徳(モラル)の基礎についての著者の理論だ。道徳というものが一体何なのか、分かるようで分からない。それは生得的なものなのか社会的なものなのか、唯一の基準があるのかそうではないのか、個人的なものなのか集団的なものなのか、そもそも利他主義のようなものがなぜ生じるのか、などなど。少し広げれば、職業倫理や役割への没入といったことにも関係してきそうだ。
これに対して筆者は、ケア、公正、忠誠、権威、神聖、自由、という6個の道徳基盤を措定する。そして、そのそれぞれが一定の遺伝的基礎を持っており、そこに文化的・社会的な共進化が加わって現在の形になったと考える。現実に現れる道徳とはその6個の道徳基盤の組み合わせであり、個人の性向も社会の性向もそのバランスから生じるというわけだ。こういう考えに至るまで、著者自身はWEIRD(Western Educated Industrialized Rich Democratic)という非常に「偏った」道徳世界に生きていたのだが、その著者が他の道徳世界に目を開かれていった過程と共に語られていて、非常に説得力がある。
「道徳基盤」から見た保守派とリベラル派
次に、いわゆる保守派(右派)とリベラル派(左派)とがどのような成り立ちのものであるかが、腑に落ちた。これは、もともとフランス革命時の議会内での思想状況に端を発するが、その内実は時代により社会によりバラバラで実に分かりにくい。また、管理人自身はおそらく、(右派に属する)リバタリアンに最も近いと思えるのだが、感覚的には、伝統的な保守派は左派よりはるかに遠くにある印象がある。これはどうしたことか。
著者は、この保守派とリベラル派の問題も、上で述べた6個の道徳基盤の組合せで説明できると考える。実際、政治的信条と6個の道徳基盤の関係を調査すると、実にきれいな相関が見られるという。さらに、保守派は6個の道徳基盤のすべてに配慮するが、リベラル派はそのうち3個(ケア、公正、忠誠)にしか重きを置かない。だから、リベラルは保守派ほど人の感情に訴えない(故に勝てない)、保守派がリベラル派を理解するほどにはリベラル派は保守派を理解できない、といった知見につながる。
まだある分厚い知的基盤
以上の話が本書の中心であり、これだけでも、相当に知的視野が広がる。しかし、本書で展開されているのは、それだけではない。人の道徳判断は無意識の直観が先であり、理屈はそれに奉仕する後付けのものに過ぎないとか、自然選択はさまざまなレベルで行われており集団選択も重要なものとして機能している(これは1970年代から強く否定されていた)はずであるとか、興味深い話題が盛り込まれている。本も分厚いが、中身はそれ以上に分厚い。
社会はなぜ左と右にわかれるのか 対立を超えるための道徳心理学
ジョナサン・ハイト 著
高橋 洋 訳
紀伊国屋書店









