功罪相半ばする驚くべき本『服従の心理』

心理,社会

 またくもって、驚くべき本。功罪相半ばする、驚くべき本。
 驚きその一は「功」、すなわち本書『服従の心理』が扱っている実験の結果。後に「アイヒマン実験」とも言われた実験で、ごく普通の善良な人々の大多数が、科学者による心理実験を装った服従環境の下、被験者に致死レベルの電気ショックを与える(と見える)ボタンを易々と押してしまう。当時の常識も、実験者(著者)自身も、実験結果を知って読む読者ですら、到底信じられない実験結果。人間のネジの外れた本性を、眼前に突き付けてくる実験結果。
 驚きその二は「罪」、すなわちその実験の過程における倫理性の欠如。「もしかしたら自分は実験名目の殺人を犯したのではないか」と被験者に思わせる、現在であれば100%許されない実験方法。もちろん、著者もそれなりの善後策を講じてはいるし、本書の中でもあれこれと弁解している。しかし、説得力があるとは思われない。実験後の質問調査で被験者自身が有意義だったと述べている、などという弁解に至っては、科学的実験という服従環境では人は信じられないような服従をしてしまう、という実験結果に照らせば、被験者になお残存する服従心理がつらい経験の「合理化」に寄与していることを示すだけだろう。

 それでも、このような実験を行わなければ想像すらできなかった結論を引き出したことに疑いはない。最初の衝撃の結果の後、著者は何が原因となっているのかを探るため、様々に条件を変えた緻密な実験を繰り返しており、その手際は心理実験あるいは実験一般のお手本だという評価もあるようだ。
 しかし、訳者も「道徳的意味においても、実際的意味においても二度とは行い得ない」と指摘しているとおり、この実験の「功」の側面をいかに強調してみても、その「罪」の側面を覆い隠すことはできない。著者もこの実験のため晩年には不遇をかこつ場面があったらしい。
 むしろ、著者自身が弁解の一環として引用している、同業者からの称賛の言葉を見ると、その異様さに驚いてしまう。この実験は、実験結果の重大さに同業の学者コミュニティーがどこまで「服従」するのかを試した、メタ実験だったのだろうか。科学の傲慢、学問の傲慢を見る思いがする。 
 究極の実験から漏れ出てしまった真実、その真実の木になる禁断の果実。結局のところ、果実が捨てられることはないのだが、実験はもう許されない。最初で最後の実験。本書は、禁断の古典となった。

 本書の実験と似たような経過を辿ったものに、『ルシファー・エフェクト』で紹介されている「スタンフォード監獄実験」がある。人間を対象とする古今の医学上の(人体)実験も、同様のところがある。


服従の心理
S・ミルグラム 著
岸田 秀 訳
河出書房新社


現在では文庫化に伴い、山形氏による新訳になっている。


ルシファー・エフェクト ふつうの人が悪魔に変わるとき
フィリップ・ジンバルドー 著
鬼澤 忍, 中山 宥 訳
海と月社

書評

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