犯罪心理と裁き手の心『殺された天一坊』

文学,心理

 本作『殺された天一坊』は、探偵小説の古い小品。作者の浜尾四郎は検事から弁護士に転じた身で、かつては犯罪心理を研究していたという。現在でも専門家がその筋の作品を書くということはあるが、当時は珍しかったかも知れない。作者には『殺人鬼』のような本格的な探偵小説作品もあるが、心理と真実の裏側を覗く、いや、ひっくり返す本作は、短編ながら深みとキレがある。

天一坊と大岡政談

 本作の題材である「天一坊」とは歴史上実在の人物であって、江戸時代中期、八代将軍吉宗の落胤と称して浪人を集め、世間を騒がせた紀州出身の山伏である。落胤話そもものは事実である可能性もあったが、いろいろ虚偽も混じっていて、結局、天一坊は死罪に処せられている。もう一人の題材は大岡裁きの大岡である。こちらも実在の人物ではあるが、世間に知られている大岡裁きは大半が大岡政談に出てくる作り物である。
 本作はその大岡が天一坊を裁こうとするのだが(あくまで政談ベースの話である)、調べれば調べるほど天一坊は真実の落胤ではないかという証拠が出てくる、という展開である。しかし、それを認めては性質の危ぶまれる天一坊が高位に就き、天下に禍いを生むことになりかねないから、事実を曲げて処罰しようとする。そこに至るまでの「裁く側の人間」である大岡の心の変遷が本作の中心である。

身投げを招いた大岡裁き

 ここまでのところは普通の紹介であるが、管理人が思わず唸ってしまったのは「心の変遷」の途中にある一挿話である。これもまた、良く知られた大岡裁きの一つが下敷きになっている。真実の母親を名乗る二人の女に対し、子供の手を引いて奪い取った方に子供を渡す、と言っておきながら、実のところは子供のことを思って手を離した方に軍配を上げたという話である。
 しかし、本作で大きな捻りが入っている。お白洲で負かされた方の女が川に身投げし、その遺書を大岡が読むという仕掛けである。これが大岡に衝撃を与える。少し長くなるが引用しよう。

あの時御奉行様は何と仰言いましたか。『斯なる上は其の方達両名で中の子を引っ張るより外裁きのつけ方はあるまい。首尾よく引き勝った者に其の子を渡すぞ』と仰せられたではございませんか。私は唯あの御一言を信じたのでございます。お上に偽りはある筈のものではない。此処で此の子を放したが最後、もう決して此の子は自分の手に戻っては来ないのだ。斯う堅く信じた私は、石に噛りついても子を引っ張らねばならぬと思ったのでございます。あの子が痛みに堪え難かねて泣き出した時、私ももとより泣きたかったのでございます。けれども一時の痛みが何でございましょう、私が手を放せばあの子は未来永劫私の許には参らないのでございます。御奉行様は御自分でお命じになった言葉が一人の母親にどれだけの決心をさせたか御承知がないのでございます。偽ったのは私ではございませぬ。御奉行様でございます。天下の御法でございます。

 事実の外形は大岡政談どおりである。大岡会心の裁きだったはずだ。しかし、遺書は大岡のまったく思いもしなかったところを突いていた。大岡もまったく面目なしである。こんな遺書を読まされたら、読んだ方が身投げしたくなるだろう。このあたりの筆力、さすがは現役の法律家というところか。


殺された天一坊
浜尾 四郎 作


本作は、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/cards/000289/card1796.html)に入っている。

書評

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