聖俗が対決する「超人」の一代記『レ・ミゼラブル』
本書『レ・ミゼラブル』は、一片のパンを盗んだために19年間も投獄され……と紹介されることが多いが、それは物語の導入で、実は本筋とあまり関係がない。そもそも窃盗での当初の刑期は5年、その後に4回も脱獄を繰り返しての19年である。当時としても重かったのだろうが、現在とは感覚も違って良く分からない。いずれにせよ問題は、4回の脱獄を通じて膨れ上がった彼の「俗」であり、それと対決するミリエル神父譲りの「聖」である。
それぞれの「聖」と「俗」
読後の印象は、二人の敵役との間の、そして何より彼自身の内面での「聖」と「俗」との間の、冒険活劇をも思わせる「超人」ジャン・ヴァルジャンの対決、というところ。だが、彼の「聖」は、彼の「俗」を救ったが、彼を幸福にすることはなかった。最後の葛藤など、もういいではないか、と言いたくなるくらいだ。結局のところ、彼の「聖」は何だったのか。死に際して天使を舞わせただけではなかったと信じたい。
代わりに幸福らしくなったのは私生児のコゼットと名ばかり男爵のマリユスだが、失礼ながらどう飾り立ててみても、彼らは小説の登場人物らしからぬ凡人にしか見えない。幸福はむしろ、凡人にこそ似つかわしいということなのだろうか。その意味では、端役のエポニーヌの方がよほど共感できるのだが、彼女もまた彼女なりの「聖」と「俗」との間を揺れ動いたあげく、不幸な最期を遂げてしまう。
敵役として登場するのが、盗賊に落ちぶれたテナルディエと警視ジャヴェルだ。ただ、ジャン・ヴァルジャンと対決するには少々力不足。それでも、運命的な(ご都合主義的な?)邂逅を繰り返すうちに、敵役としては成長(?)するのだが、彼らも幸福には程遠かった。テナルディエを不幸にしたのは、まさに彼の「俗」であるが、ジャヴェルを不幸にしたのは何だろうか。「聖」ではないが「俗」とも違う、そこに却って危うさがある。彼は彼なりに真剣だったのだろうが、信念と言うべきか独善と言うべきか、その頑なさ加減はジャン・ヴァルジャンの「聖」と似たところもある。
大冊のとばし読み
この作品は、文庫版で二千頁を超える大冊であるが、途中でしばしばプロットから脇道に逸れて、ワーテルローの戦い、修道院、パリの裏側……についての大演説が挿入される。しかも、これがかなりの分量を占める。作者にとっては大事な箇所なのかも知れないが、プロット部分の怒涛のような流れを寸断してしまう憾みがある(もっとも、下水道についての「怪物の腸」は例外かつ必読だが)。
同じような趣向の作品は少なくない。その一つであるメルヴィルの『白鯨』には、「鯨学」すなわちクジラに関する蘊蓄話が、135章中20章も挿入されている。岩波文庫版(八木敏雄訳)の「解説」には、この「鯨学」部分を他から区別することのできる「『白鯨』モザイク」という一覧表が付いている。この「鯨学」の方は意外に興味深く読めるのだが、まずは「鯨学」を飛ばしてプロットだけ一気に追うという読み方にも使えそうだ。この種の一覧表は、むしろ『レ・ミゼラブル』に欲しいところだ。
「文学作品」に取り組むと考えれば、こういう考えは少々不謹慎にも思えるが、イギリスの文豪モームは『読書案内』で、かなりハッキリ言っている。トルストイの『戦争と平和』を引き合いに出して「戦争の場面があまりにもしばしば出てきて、しかもその一つひとつが微に入り細に入り語られていてうんざるりするくらい……そうしたところは、とばしてよめばよい。とばして読んでも、やはりこの小説が偉大な作品であることには少しもかわりがない。」と言い、さらに項を改めて「とばしてよむことを知るのは、有益に、かつ楽しくよむ方法を知ることである。」と念押ししている。
レ・ミゼラブル 1/2/3/4
ヴィクトル・ユーゴー 作
豊島 与志雄 訳
岩波書店(岩波文庫)
この豊島訳は、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/cards/001094/card42600.html)にも入っている。少し古い訳だが、今でも読みやすい。
白鯨 上/中/下
ハーマン・メルヴィル 作
八木 敏雄 訳
岩波書店(岩波文庫)
読書案内-世界文学
サマセット・モーム 著
西川 正身 訳
岩波書店(岩波文庫)









