平凡ならざる作者の平凡ならざる思想と感情『平凡』
本作『平凡』の作者は、言文一致と写実主義で知られる二葉亭四迷である。本作は実際はフィクションなのだが、冒頭で「近頃は自然主義とか云って、何でも作者の経験した愚にも附かぬ事を、聊かも技巧を加えず、有の儘に、だらだらと、牛の涎のように書くのが流行るそうだ。好い事が流行る。私も矢張り其で行く。」と宣言する自然主義文学「設定」の作品である。
「平凡」だが普遍的な人生
さて、本作の話そのものは、まさに文士の夢やぶれた「平凡」な人生である。幼少時の飼い犬の話、下宿の女の話、作品を売り込む話、再び女の話、そして父親の死。時として、傍から見れば馬鹿馬鹿しくもあり、「しっかりしろ」と言いたくもなる。だが、それが大方の人の生き方であり考え方なのだろう。そういう意味で、「平凡」であるからこその普遍性ということかも知れない。
しかし、実のところは「平凡」でない人生、つまり日本の近代小説の開祖であった作者の生き方と重ね合わせて読むのが99%だろう。実際、作者の思想や感情が色濃く反映されており、作者の「精神の自伝」なのかも知れない。管理人がそうであったように、話はフィクションでも「あの二葉亭四迷の思想や感情が描かれている」から、本作での言葉によれば「現実の(真とは言わなかった)真味を……詳しく言えば、作家のサブジェクチウィチー即ち主観に摂取し得た現実の真味を如実に再現する」から読まれるのだろう。そう考えると、羊頭狗肉であるからこそ読まれるのだとも言え、少々皮肉な感じもする。
「平凡」ならざる思想と感情
本作を平凡であったり平凡でなかったりする自然主義風文学というだけでは終わらせない、思想や感情とはどのようなものか。これは中盤あたり、主人公が「平凡」と格闘するところにふんだんに現れる。
これは最初の女話の中にある。「下劣な人格が反映」というのは、良いところを突いている。当時としてみれば、かなり思い切った言説で、小説中の人物の独白を借りてようやく書けるような内容だったのではないか。
こちらは文学論である。ファウストに対する作者の実際の評価がどうだったのかは分からないが、「雷同で面白いと感じた丈」とはこれまた痛いところを突いている。しかし、吠えて吠えて吠えまくったところで、「お前はどうなのか」という声が聞こえてきそうだ。
これは当時の世間にあった俗物的な「平凡」を批判したものか、あるいは、作者自身が実際に感じたことか。少なくとも、ある一時期は、痛切に感じていたのではあるまいか。「思想」は、学問や哲学や主義など、何で置き換えても良さそうだ。
平凡・私は懐疑派だ
二葉亭 四迷 作
講談社(講談社文芸文庫)
本作は、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/cards/000006/card3310.html)に入っている。