核シェルターと秘密基地『方舟さくら丸』
本作『方舟さくら丸』は、安部公房の作品としては、特に有名な方ではないかも知れないが、管理人にとっては、他の作品と同じかそれ以上に惹かれる作品だ。本作は、主人公が地下採石場跡の巨大な洞窟に核シェルターの設備を造り上げ、そこで仲間との共同生活を始めたものの……、というもの。滑稽小説のようでもあり、重いテーマがあるようでもある。しかし、実はそうした本筋はあまり関係ない。
秘密基地と巨大な便器
本作に惹かれると言ったのは、本作が地下採石場跡という特異な空間を舞台としているからである。外界から隔絶された私的空間。王国と言っても良いし、秘密基地と言っても良い。しかも、小道具として本作中に何度も登場する巨大な便器、これが素晴らしい。この便器は、普通のトイレにも使えるが、水圧が非常に高くて何でも流してしまえるのだ(最後には主人公自身が流されそうになる)。
恒常的な秘密基地として使うなら、INはともかくOUTは押さえておかなければならない。糞便やゴミが溜まってしまっては、活動に支障が出る。秘密基地の主がゴミ袋を持って外に出てくるなど、シャレにならない。このアイテムがあるお陰で、この秘密基地は俄然現実味を帯びてくる。もし本当にこんな場所があったとしたら、(居住したりはしないだろうが)いくらかの私物でも持ち込んでちょくちょく訪れてみたいものだ。何をしようか?どう使おうか?「ただいるだけ」でもよさそうだ。
私的空間と社会空間
しかし、夢はほどなくして破られてしまう。作者は秘密基地の物語など書いているわけではないから、物語が進むと他人が闖入してくる。小説としては当然のことなのだが、秘密基地性が破られたような気になって、がっかりしてしまう。途中からは「侵入者」が次から次へと現れて、せっかくの秘密基地がある種の共有空間、いや、外の世界と同じように、人間と人間が入り乱れる社会空間になってしまう。
管理人の感覚としては、「侵入者」どころか、初めから仲間との共同生活を許したのが物足りない。どうせなら一人で行動してもらいたい。管理人は、『ロビンソン・クルーソー』で忠実な従僕となるフライデーが出てきただけで同じ思いになってしまうくらいだから、作品の読み方としては滅茶苦茶である。しかし、秘密基地など実生活では不可能だし、案外すぐに飽きてしまうかも知れないが、フィクションの世界だけでもそうした気分に浸ってみたいのだ。
ところで、管理人の事務所は秘密基地のような趣がある、というか、そのように設えた。ある人は大学の研究室のようだと言ってくれた(ものは言いようだ)が、あれは秘密基地なのである。ただし、仕事場であるから、年中人が出入りしてしまっている。
方舟さくら丸
安部 公房 作
新潮社(新潮文庫)