小津映画ばりの超絶モノクローム小説『桑の実』

文学,青空文庫

 管理人はそれほど起伏のない小説も好んで読むのだが、本作『桑の実』には驚かされた。本当に何も起こらない。起こらないどころか、何か起こりそうなところをあえて抑え込んでしまうような徹底ぶりなのだ。作者は「赤い鳥」など童話で有名な鈴木三重吉、童話の手法が何か関係しているのか、作者の個性なのか、とにかく滅多にお目にかからない作品であることは確かである。

徹底したモノクロームの世界

 比較の対象として真っ先に思い浮かぶのは文学作品ではなく、小津映画である。多くの読者はそういう連想をするだろう。古き良き日本、そして万事が控えめな内容もさることながら、小説全体がモノクロームに塗られているのだ。小津映画と言えば、やはり白黒映画である。白黒映画では、そこに赤や緑があることは観念的には理解されながらも、それはモノクロームの世界として表現される。本作もまた、同じなのである。

こうしたものさびれた町の夜の灯も、おくみには何とはなく、自分にしたしい或物の含まれているような、小なつかしい晩であった。

おくみは鋏を入れては縫い糸を解ほぐしながら、その抜いて行く糸の一筋づゝに、さっきからの、小さびしい自分の心が読み返された。

 いやもう、ため息が出るほど繊細で、美しい。究極はこれだろうか。

障子の縁に立てた懐鏡の蓋の赤い布がこうした沈んだ心持を色づけるたった一つの赤い色のように小淋しい。

 ここでは、「赤い布」や「赤い色」と色への言及がありながら、それらの表現はむしろ色彩を消す方向に働いて、後にはモノクロームの余韻が残るばかりである。

恋愛のおくみと非恋愛の青木氏

 さはさりながら、本作は一応、恋愛小説風である。「風」というのは、恋愛と言うにはあまりに淡く、好意や憧れから一歩も出ないように、堅固なまでに抑制されているからである。これはもう初めから、成就するはずもない、成就してはならないものとして描かれているのである。相手の青木氏とは、立場も違えば年齢も違う、趣味嗜好も違う。読者が余計な期待を抱かないよう伏線が張り巡らされている。そして、そのとおりの結末に終わる。またしてもモノクロームである。
 ただ、これは主人公のおくみの立場から見た場合の話である。管理人としては、むしろ青木氏の方に着目したい。画家らしい彼は、妻とうまく行かず、子供に対してもさほどの執着はない様子である。そのうち、「もうこの儘いつまでもいて貰える積りでいた」とか「久男さへいなければいっそ一人でどこかへ下宿でもするんだけどね」などと言い出す始末である。こういう女性にも家庭にも興味を持たず、というより合わない男は決して少なくないはずだが、この時代の社会標準から大きく外れていた。現代では多少事情が変わっていそうだが、どうだろうか。


桑の実
鈴木 三重吉 作
岩波書店(岩波文庫)


本作は、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/cards/000107/card47173.html)に入っている。

書評

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