超俗人の俗世界での闘い『ピープス氏の秘められた日記』
このブログには本のジャンルに対応したタグが15個あるが、本書『ピープス氏の秘められた日記』にはどれを付けたら良いのか悩ましい。とりあえず、当時の歴史が分かるから「歴史」と付けてみたが、いわゆる歴史本ではない。日記文学というのもあるから「文学」も入れてみたが、そんな高尚なものではないだろう。個人の内面思想が現れているから「哲学」も考えたが、関連性の薄いタグは2個で十分だ。それほどユニークな奇書なのだ。本書が、ではない。本書が扱う「日記」が、である。
「国際語」で書かれた稀有の日記
管理人は日記を書いたことがない。これは管理人が筆まめでないこともあるが、初めから書く気がしないということが一番大きい。正直に書けば他人に見られて恥をかくおそれがあるし、都合良く脚色して書くなら、一時の精神安定剤になるくらいのもので、そもそも「日記」とは言えない。大体からして、客観的に価値がない。そんなものを書くヒマがあったら、仕事か何かで頑張った方が良いと考えてしまう。
しかし、ピープス氏の日記は、こうした問題をことごとく脱している。彼の日記は数か国語をチャンポンにしたような「国際語」で書かれており、簡単には露見しないようになっている(3年がかりで解読され、だからこそ我々が読めるわけだが)。そして、かなり正直に書くからまさに「日記」であるうえ、思い込みの美化や自己陶酔が入ってくるから、精神安定も図れる。そして何より、巧まずして17世紀イギリスのエヴリマン氏(中流平凡人)の実相を伝えるという客観的価値まで獲得してしまった。
俗に埋もれた超俗の仕事人
著者は「あとがき」で、「内容あまりに猥雑、世人の教化に資するところは何一つない」と書いている(それにしては、ところどころで見られる筆致からは、ピープス氏の良き理解者、とは言えないまでも代弁者、少なくとも擁護者のように見える)。確かに、ピープス氏は倫理面では問題だらけである。酒と芝居にうつつをぬかし、女性を追いかけ回し、賄賂の計算に忙しい。しかし、これですら、時代の違いを考えれば、ピープス氏を叱れる人がどれだけいるだろうか。
むしろ、当時の封建的放縦と市民的節制の間にあって、(前者を大いに残しつつも)後者の美徳をいち早く身に着け、仕立屋の息子から遂には海軍大臣にまで上り詰めた精励勤務のありようを、特筆大書すべきではなかろうか。到底、エヴリマン氏などとは言えない。彼は優秀な官僚たることに身を徹し、人間の高級な側面で後世に名を残すことはなかったものの、ともかく何十万人に一人の人物として時代の礎になったのだ。
超俗人ピープスと去勢された日本人
それにしても、ピープス氏の生きた時代とは、大変なものであった。日記が書かれたのは、1660年から69年までの10年間。その間、クロムウェルの死後の政治的大変動があり、65年には人口の4分の1が亡くなったペストの大流行があり、66年には市内の家屋の大半を焼き尽くしたロンドンの大火事があった。そんな中、ピープス氏は時に弱気になりながらも、自身に甘い「神」に祈りながら断然生き抜くのである。
それに比べると、現代の日本人など、去勢された阿呆のようなものである。わずかの自然災害で、これは人災なのだとスケープ・ゴートを求める。欧米の何十分の一でしかない感染症にも耐えられない。いよいよ老人にならなければ、死と向き合うこともできない。人生に万事、覚悟がない。
ピープス氏の秘められた日記 17世紀イギリス紳士の生活
臼田 昭 著
岩波書店(岩波新書)