消えた4割打者「両極端の消滅」
今回は、古生物学者グールドのエッセイ集『フラミンゴの微笑』の下巻冒頭を飾っている「両極端の消滅」というエッセイである。表題が半ば答となっているのだが、米国大リーグでなぜ、1941年のテッド・ウィリアムズを最後に4割打者が誕生しなくなった(このエッセイが書かれた後、1994年にトニー・グウィンが.394まで迫ったが)のかを探ったものだ。おそらく、著者の他のどのエッセイよりも、さまざまなところで引用されたに違いない。管理人が最初に読んだのは20年以上も前だが、そのロジックや展開のうまさに感心した記憶がある。
「水準」と「バラツキ」
このように最高打率が低下したのは、いくつかの要因が考えられる。例えば、打者の成績は投手の能力との相関で決まるのだから、リリーフ制の導入や「飛ばないボール」により投高打低となった、といったことである。しかし、著者が注目するのは、そうした打撃成績の「水準」に影響を与える要因ではなく、その「バラツキ」に影響を与える要因である。つまり、野球、殊に歴史のある大リーグにおけるそれは、プレーが標準化されてきたため成績の変異幅が小さくなった。そのため外れ値である4割も消滅した、というわけだ。
これが当たっているかどうかは別にして、今では多くのファンに共有されている考え方となっているようだ。そのため、新型コロナの影響で日米ともに試合数が削減された2020年シーズンには4割打者が出るのではないかということで、このエッセイを引用したコラムがネットなどで出回った。試合数つまり打席数が限られるのも「バラツキ」が大きくなる要因だからだ。残念ながら4割は出なかったが、他の要因もあるので仕方ない。なお、プロ野球の歴史がまだ浅く、試合数も比較的少ない台湾のリーグでは何度も4割が出ている。
「バラツキ」で測る競技の成熟度
著者の考え方を逆にすると、スポーツを初めとする競技の成績で外れ値がどのくらい出るかによって、その競技の標準化、あるいは成熟の度合いを測ることができそうだ。もちろん、競技が違えば成績の測り方自体が変わるから、「4割」というような固定の物差しは使えない。それでも、「〇年連続のチャンピオン」や「〇冠のタイトル独占」といったものなら、ある程度、競技間で共通すると考えて良いだろう。
そう考えると、極めつけの外れ値はレークプラシッド五輪のスピードスケートで5冠を達成したエリック・ハイデンだろうか。その後は次第に競技が成熟(例えば種目の専門化)してきて、現在では隣り合う2種目が限界だろう。あるいは、陸上と水泳を比べると、水泳の方が圧倒的にタイトル独占が多いようだ。さすがに水泳の方が成熟度が低いとは考えにくいので、これは同じ距離の複数種目(泳法)を一人で兼ねられる競技の特性によるものか。
競技を純粋に競技として見た場合、群雄割拠になった方が成熟を示すのだとすれば、関係者としてはそれを望ましいと感じる(べき)ところである。しかし、競技を興行と見れば、そうとばかりも言えない。タイトルを独占するようなスターが誕生した方が、世間の注目を集めることは間違いないからだ。もしかすると、それは競技の衰退を意味するのかも知れないのだが。このあたりは、関係者としてはやきもきするところなのではあるまいか。
フラミンゴの微笑 進化論の現在 上/下
スティーブン・ジェイ・グールド 著
新妻 昭夫 訳
早川書房










