チャンクと時計職人だけでも読む価値がある『システムの科学』

経済,科学

 本書『システムの科学』は、コンピュータ科学、意思決定・問題解決の専門家で、ノーベル経済学賞も受賞した著者が、「これまでの得られた研究成果をふんだんに盛り込み、永年にわたって構想してきた雄大なテーマをここに初めて開陳する」というもの。抽象度が高く、難易度も高いが、非常に参考になる。さて、「参考になる」といった場合、本来の「人工物の科学」として参考になるばかりでなく、ハウツー的な意味合いでも参考になる。言うまでもなく、「チャンク」と「時計職人」である。

チェスマスターの記憶を支える「チャンク」

 まずは、記憶に関する「チャンク」である。チェスマスターは意味のある駒組みであれば、わずか数秒見ただけで正確に再現できる。しかし、デタラメな駒組みの場合は、そのような再現はできないのだという。つまり、チェスマスターは、視覚能力や記憶能力に特に優れているわけではなく、駒組みの意味のあるまとまり(チャンク)に関する知識をあらかじめ持っていて、それが再現能力を支えているということだ。チェスの場合に具体的にどういう単位でチャンク化されているのかは分からないが、一般的には数個程度の文字や数字、これを長期記憶に入れるのに5秒から10秒かかるという。
 そこで、チェスに限らずある分野で専門家となるに必要な知識量は、やや低めに見積もって5万チャンク、時間にして10年という数字が出て来る。これは、専門家になるのに10年かかる(そのくらいで何かが発酵してくる)と言うよりは、養成期間と活動期間のバランスから10年くらいでなれるレベルを専門家と称するという社会的なラインなのだろうが、ともかく一つの目安になる。必ずしも「今日はいくつのチャンクをマスターしただろうか」などと自問することはないかも知れないが、時々、自分の専門知識の蓄積のされ具合を確認するような人は少なくないに違いない。

1000個の部品から時計を作る二人の職人

 もう一つは、二人の時計職人の話である。二人とも、1000個の部品からできている複雑な時計を組み立てていたのだが、一方は繁盛し、一方は店を失ったという。原因は、時計の組み立て方にあった。店を失った職人の方は、1000個の部品を一から組み立てていた。そのため、途中で邪魔が入ると、全体がバラバラになって初めからやり直さなければならなかった。繁盛した方の職人の方は、10個の部品で中間品を作り、それを10個合わせてより大きな中間品を作り、それを10個合わせて完成品を作る、という設計にした。この方法なら、途中で邪魔が入っても、最大で9回分のやり直しで済み、全体として大きな効率化を達成できるのだ。
 この話そのものは、生物の進化においても、同じような階層構造を措定すれば、進化のプロセスが大いに効率化されるはずである、という文脈で出て来る。しかし、もっと日常的な文脈で、何かを調べたり考えたり作ったりするときに、それを中途半端で終わらせずに、一定の中間品にまで仕立てておけば、後になっても失われることなく自分の「資産」にすることができる。もう少し大きな仕事をしようとしているときも、ちょうど繁盛した時計職人と同様に、最終成果に至るまでの道程を階層的にモジュール分割してしておけば、ゴールがぐんと近くなる。この方法の効果は大変に大きいから、長い目で見れば相当な違いになる、はずだ。


新版 システムの科学
ハーバート・A・サイモン 著
稲葉 元吉,吉原 英樹 訳
パーソナルメディア

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