異能の天才数学者ラマヌジャン『無限の天才』

ノンフィクション,数理

 どんな分野であれ、破天荒の天才というのは、夢を託したくなる存在だ。本書『無限の天才』で描かれるインドの天才数学者ラマヌジャンは、まさにそのような人物だ。ただの天才とか、超天才とかいうのとは次元が異なる、常人の理解を絶するような存在なのだ。数学の天才というのは、正統派の天才ですら、そうしたところがあるものだが、ラマヌジャンはまさに次元が違っていた。
 本書は、そこのところを、師である(正統派の)天才数学者ハーディとの関係を軸に、克明に描き出している。本書は、論証が不十分でしばしば誤りも混入したラマヌジャンの数学の弱点についても公平に目配りしており、彼をただ持ち上げたり、神秘化したりするだけではない。それだけに、かえってラマヌジャンの異能ぶりが浮き彫りになっているとも言える。

南インドからの手紙と『ノート』

 ラマヌジャンの破天荒ぶりは、自身がしたためた次の手紙の文面に凝縮されている。当時、王立協会のフェローに選出され、数学界の最高峰に上りつめていたハーディに宛てた手紙である。

 自己紹介をさせて下さい。小生はマドラス港湾信託局経理部に勤める事務員にて、23歳くらい、年俸20ポンドほどでございます。大学へは行きませんでしたが、普通教育は受けております。学校を卒業してから今日に至るまで寸暇を惜しんで小生がやってまいりましたこと、それは数学であります。大学の専門課程のような正規の高等教育こそ受けておりませんが、全くの独学で新しい研究をしているのでございます。特に発散級数に関する小生の研究成果は当地の数学者諸氏から”驚嘆に値する”とのお墨つきをいただきました。

 当時のハーディの地位を考えれば、南インドの素人数学者がこんな手紙を送ること自体、無茶苦茶な話だ。しかし、この手紙には、9ページの「論稿」が同封されていた。この論稿こそ、独学中のラマヌジャンが書き溜めていた、数千もの定理や系が記された『ノート』、後に世界中の数学者たちが挑戦し、その意気を挫いてきた『ノート』の一部だったのだ。これに魅せられたハーディは、ラマヌジャンを受け入れる。そして、ラマヌジャンの師となり、共同研究者となり、異郷の地での庇護者となった。

女神から授かった数学的才能

 ラマヌジャンは、生地の氏神であるナマギーリ女神を深く信仰していた。彼の中ではナマギーリ女神と数学は分かちがたく結びついていたようで、本心かどうかは別にして彼自身、「数学に対する自分の才能はナマギーリ女神からの授かりものだ」、「ナマギーリが自分の舌に方程式を書いてくれるのだ」と言ったこともある。
 もっとも、合理主義者のハーディはそういった神秘主義は否定している。さすがに、信仰と数学が直結していたわけではないだろう。しかし、通常の数学的プロセスを飛び越えていきなり結論を見抜いてしまうラマヌジャンに、超自然的としか言いようのない洞察力が備わっていたのは確かだ。
 副題に「夭折の数学者」とあるように、気候も文化も異なる英国での生活が肌に合わなかったのか、故郷とナマギーリ女神を離れたことが災いしたのか、ラマヌジャンは次第に心身に変調を来たし、わずか32歳で世を去ってしまう。もっと生きていたらどんな成果を生み出していたかと思うと、残念でならない。数学者が第一線で活躍できる期間はそう長くはないとも言われるが、ラマヌジャンならば、と思わせるところがある。

IT時代のラマヌジャン

 もし、ラマヌジャンが現代に生きていたらどうだろう。無理して英国に拠点を持たずとも、南インドにいたままでも、数学の論文などネット経由でいくらでも手に入るはずだ。チャットやビデオツールを使ってコミュニケーションも取れそうだ。共同研究ともなれば、そうも行かないかも知れないが、必要な都度、数時間のフライトで移動できたなら、どんなにか負担が軽かっただろう。数式を操れるさまざまな電子ツールがあっても、ラマヌジャンはきっと「手書き派」で通しただろうが、数式一杯のメモをハーディに送信すればそれで十分だっただろう。
 それとも、そうした現代風の環境に囲まれて生きること自体、ラマヌジャンの神秘の能力を削いでしまっただろうか。それは誰にも分からない。


無限の天才 夭折の数学者・ラマヌジャン
ロバート・カニ―ゲル 著
田中 靖夫 訳
工作舎

書評

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