最速投手の今昔『プロ野球ヒーロー 伝説の真実』

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 史上最も速いランナーは誰か、最も強いチェス・プレイヤーは誰か、といったことは、スポーツを初めとする競技でのファンの関心事の一つである。本書『プロ野球ヒーロー 伝説の真実』は、その野球版を扱ったデータ本である。本書には、プロ野球の黎明期からの伝説の選手達に関する「定性的」なエピソードもかなり入っているが、やはり興味深いのは投手の球速や打者の飛距離という「定量的」なデータである。数字があれば、とにもかくにも古今の比較ができるのだから。

「現代に生きていたら」と「現代に連れてきたら」

 もっとも、比較できると言っても、障害はたくさんある。打者の飛距離はバットとボールの反発力次第という面があるから、たとえ数字がはっきりしていても比較は難しい。「追い風参考」という場合もあるだろう。それに比べれば、投手の球速は比較しやすい。ボールの規格はほとんど変わっていないから、表面のスベリ具合や縫い目の凹凸くらいのものだろう。スピードガン以前ではそもそも信頼できるデータがない、という問題はあるとしても、ここでは最速投手に話を絞りたい。
 もう一つ、何を比較しているのかという問題がある。球速なら球速で実際に出した数字を比較するのか、球速を出す能力を比較するのか、ということだ。例えば、沢村栄治が現代に生きていたら大谷翔平をもしのぐ剛速球を投げたかも知れないが、スポーツ生理学はおろか練習法も確立されていなかった戦前に実際に投げたボールの球速は現在とは比較にならなかったはずだ。それは、伝説の短距離走者ジェシー・オーエンスが現代に生きていたらやはり世界記録を出したであろうが、当時実際に出した世界記録は(走路等の不利があったとはいえ)10秒3に過ぎなかったというのと同じことだ。
 伝説の選手が「現代に生きていたら」という話には夢があり、多分真実でもあろうが、タイムマシンで現代に連れてきても同じパフォーマンスだろうと考えるのは、夢の見すぎというものだ。かつての選手は、大きなハンデを背負っていたのである。

結局のところ、史上最速投手は

 情報が不確かになってしまうメジャー・リーガーはひとまず除いて、本書の「投手編:最速王伝説」に登場する伝説の剛速球投手は、金田正一、尾﨑行雄、江夏豊、山口高志、といった面々である。夢のない話になるが、スピードガン以前の伝説の剛速球投手のうち、150キロ台の後半に達していた可能性があるのは、これらレジェンド級の数人だけだろう。本書では、この話題での常套手段である古い映像を基にした「計測」で、初速換算で160キロや170キロと推測をたくましくするのだが、それが期待できるのは現代の投手に限られるだろう。
 別に人間が進化したわけではない。しかし、環境は大いに進化した。当時の剛速球投手より現代の剛速球投手の方が速いことは間違いない。スピードガンが導入されてから約40年、最高球速も平均球速も年ごとに上昇してきた事実がそれを示している。もちろん、伝説の剛速球投手が現代に生まれていたら、160キロはおろか170キロもあり得たことを否定するものではないが。結局のところ、実際に出した球速で比較する限り、史上最速投手はほぼ常に、現代の最速投手である。これは如何ともしがたい、はずである。

意外な最速投手候補とは

 そのような中、一人だけ気になる投手がいる。巨人のV9を支えた堀内恒夫である。堀内は剛速球投手というよりはバランスに優れた名投手というイメージであるが、若い頃の球速は目を見張るものがあったらしい。入団した年の夏に光電管を使った装置による球速測定が行われ、ホームプレート上で155.5キロを記録した。初速換算では170キロにもなる。光電管の原理にケチをつけるつもりはないが、装置のキャリブレーションが完全だったのか、今となっては分からない。同時に他の投手を計測したわけではなく、比較のしようもない。先の議論からしても、やはり疑わしいところは残る。
 しかし、である。管理人はたまたま、堀内の類まれなる身体能力を示す衝撃のシーンを目にしたことがある。堀内の投球を中日の矢沢健一が打ち、「火の出るような当たりのセンター前ヒット」と思われた打球に、堀内が飛びついた。そしてグラブに当てた、その衝撃で堀内は失神してしまったのだ。衝撃で失神してしまうような速度の打球に反応し、実際に間に合ってしまうなどということは人間業では考えられない。それほどの身体能力を持つ堀内なら、もしかすると170キロということもあり得たのではないか……これは夢か現実か。


プロ野球ヒーロー 伝説の真実 ~170キロの速球、180メートルの本塁打~
小野 俊哉 著
扶桑社(扶桑社新書)

書評

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