シェイクスピアの「人違い」劇の傑作『十二夜』
本作『十二夜』は、シェイクスピアの喜劇の中でも最高との評価がある。いわゆる「人違い」ものの恋愛話で、話そのものは他愛もないものだ。しかし、(解説によると)時の宮廷人に対する批判なども混ぜ込んでいるらしく、なかなか手が込んでいる側面もある。管理人は、全般に、シェイクスピアでは悲劇よりも喜劇が好みだ。
立派な悲劇と軽い喜劇
確かに、悲劇はいかにも立派な物語で、文学的にはそちらの方が高い評価になるのかも知れないが、何と言うか、堅すぎて好きになれない。第一、リア王にせよ、オセローにせよ、ある意味たいへんな愚か者であって、その愚かさゆえに悲運に陥っているのだから目も当てられない。だからこそ悲劇なのかも知れないが、果たして17世紀の観客がああしたものを喜んだのか、喜んだとすれば不思議な感じがする。
それに比べると、喜劇は軽い。その軽さが良い。その中で妙に深刻ぶっている者がいたりすると、その場違いな感が際立ってくる。これは、現代の笑いにも通ずるところがある。道化も心なしか生き生きとしているようだ。ただ、シェイクスピアについての解説などを読むと、中期までの喜劇から悲劇に転じたところを「深化」したように説明されていることが多い。現にそういう経過を辿ったのだから、何らかの内的な変化があったことは確かなのだろうが。
悲劇の深刻ぶりは少々ストレートにすぎる感はあるが、喜劇の場合は深刻ぶりのスパイスは混ぜられるものの、最後までそれで通すことはできない(それでは悲劇になってしまう)。そうかと言って、予定調和的なハッピーエンドでは確かに深みはない。本作で言えば、ヴォイオラはオリヴィアに熱を上げるオーシーノウを慕う一方で、こともあろうにそのオリヴィアから熱愛され、そうこうするうちオリヴィアはうり二つの兄セバスチャンをヴォイオラと取り違えて先にくっついてしまう。どうにもならない混乱だが、あれとこれ、これとあれがくっつき直せば丸く収まるということに観客は気が付き始め、まさにその通りの結末で終わる。
恋愛の危機と信望の危機
ちょっと安心して見ていられる時代劇のようなところがある。シェイクスピアも、そのようなパターンには飽き足らなくなったものか(混乱に輪をかけたと思われた兄セバスチャンの登場が、実はくっつき直しの決定打になっているというところが気が利いているが)。まさかそれで悲劇に転向したのではないだろうが、悲劇にはまた別の窮屈さがある。いっそのこと、まったくの喜劇調で進行しながら、思いもよらない事件が起こって急転直下、とんでもない悲劇に終わる、というのはどうだろうか。観客は悲劇のただ中に置き去りにされるばかり。
本作でも、その芽はある。仕組まれた決闘沙汰にヴォイオラが巻き込まれ、それを助けたアントーニオから兄と取り違えられて、恩を仇で返したと誤解されてしまう。ここでも「人違い」が起きている。こちらの方は、すべてが丸く収まる大団円の幸福感を高めるためにいったん落とす、という味付けなのだろうが、人の信望に関わるだけに単なる恋愛沙汰より深刻であるとも言える。恋愛の「人違い」はいくらこじれても大した話にはなりそうにないが、こちらの「人違い」がこじれると本当の悲劇になり得る。そうはならなかったけれども。
十二夜
シェイクスピア 作
小津 次郎 訳
岩波書店(岩波文庫)









