ESP実験は科学たり得るか『疑似科学と科学の哲学』
タイトルだけ見ると何の本かと思うが、科学哲学に関する真面目な本だ。科学哲学とは、方法論や存在論といった観点から科学を対象とする哲学。興味深いけれども、非常に多岐・広範囲にわたる問題を扱っていて焦点を絞りづらい。そこで、本書『疑似科学と科学の哲学』は、疑似科学(科学のようで科学ではないもの)を分析の対象にするというアプローチをとる。疑似科学と言うと、いかにも胡散臭いというイメージが先行するが、実は、科学と疑似科学を区別する問題は「線引き問題」と呼ばれていて、科学哲学の重要問題の一つであるという。
本書で題材に採られる疑似科学は、創造科学、占星術、超心理学、代替医療、迷信的思考、といったものだ。このように書くと、科学との線引きなど容易だと思われるが、実はそうでもない。一つの問題が解決したかと思うと、次の問題が出てくるという有様なのだ。
創造科学と超心理学
特に、創造科学は大変に「しぶとい」のだそうで、本書でも最初に取り上げられている。創造科学とは、キリスト教における創造説(聖書に書かれている天地創造の物語を文字どおり正しいと考える説)をサポートしようとする「科学」である。その論法は、現在でも多数の問題が未解決で残されているのは、対立する進化論の側の説明能力の欠如であり、したがって「創造」で説明するしかない、という調子である。その「説明」にしても、突然の創造によって生命や新しい種が誕生したと言うだけで、聖書の記述を「証拠」として挙げ、創造説と矛盾する証拠に対しては沈黙してしまう。なるほど、容易ならざる相手だが、それだけに線引き問題の深化に「貢献」しているのかも知れない。
超心理学には、そもそも理論の対象、すなわち透視やテレパシー、念動力といったもの(これらを「サイ現象」という)が存在するかどうかという問題がある。超心理学の研究には、既に150年以上の歴史があり、専門の学者がおり、学会や査読付き論文があり、それらしい実験が行われてもいる。ところが、テレビでの超常現象の検証番組よろしく「超心理学がこれまでに行った再現性のある発見は、サイ現象に再現性がないということだけだ」というところで止まっている(原文は英語だろうからジョークではない。念のため)。それでも、前進的な修正が行われていって、それなりの再現性を獲得する余地がないとも言えないようだ。
サイ現象を科学する
サイ現象が出てきたついでに述べておくと、管理人は、その種の現象を頭から否定するわけではない。しかし、世間で取り上げられている現象の99.999%は似非だろうと思っている。そして、残りの0.001%は、いずれ守備範囲を広げた科学の対象の仲間入りをするものだと思っている。つまり、「不思議なサイ現象」の居場所はないということだ。
管理人がこれまでに最も「科学の対象の仲間入り」に近いと思ったのは、手のひらで物を見ることができるというインドかどこかの女性の能力だった。日本のテレビ局が誰も音を立てないスタジオで、目をテープでグルグル巻きにして実験したが、彼女は識別が簡単な対象であればそれを言い当てることができた。ところが、番組に参加していた通常科学の某教授は、「いや、テープのすき間から見えていたに違いない」と異議を唱えていた。しかし、これは本書でいう「後付けの変更」だ。某教授は実験を監修したのではなかったかも知れないが、そのような異議の余地がないように、トリックの可能性は完全に排除しておかなければ実験の意味がない。これは、通常科学の側の科学的とは言えない態度と言うべきか。
奥深い「線引き問題」
科学と疑似科学の線引きと言うと、管理人にはポパー流の反証主義くらいしかイメージになかったが、これだけでは、反証を突き付けられながらも動じない創造科学ですら科学の範疇に入ってしまう。逆に、進化論を科学と認めるためには、ある程度の概念整理が必要になってくる。
本書では、実に23個もの基準が挙げられている。それらもまた、あるものはあまりに基準が低く、あるものはあまりに基準が高く、あるものは線引き自体をしないという結論に至る。本書の一応の結論は、統計的な処理を導入して「線を引かずに線引き問題を解決する」というものだ。「線引き問題」の奥は深い。
疑似科学と科学の哲学
伊勢田 哲治 著
名古屋大学出版会









