40年後の自己吟味『記録・沖縄「集団自決」裁判』
本書『記録・沖縄「集団自決」裁判』は、太平洋戦争中に沖縄で起きたいわゆる「集団自決」についての『沖縄ノート』の記述に関して、元軍人とその親族(原告)が出版社である岩波書店と著者である大江健三郎氏(被告)を訴えた民事訴訟の、被告側からの記録である。元軍人が住民に「集団自決」を命じた、という記述が名誉棄損に当たるというのが訴えの理由である。
裁判結果とその史的意味
最高裁まで争われた結果、被告が勝訴した。ただし理由は、「集団自決」に日本軍が深く関わっていたことは否定できないが、元軍人が直接にこれを命令したとは断定できない、しかし、出版当時それは学会の通説とも言えるもので、真実と信ずるに相当な理由があったから名誉棄損は成立しない、という少々微妙なものだ。
この訴訟は元軍人個人の名誉を問題にするという形をとりながらも、その実質は、右派(左派に言わせれば「歴史修正主義者」)と左派との間の「史観訴訟」のようなものだ。そして、個人に関する事実関係に限って言えば右派の言い分は認められたわけだが、軍の関与は否定できないというのであるから、裁判の結果どおり、実質的に左派の勝利ということだろう。とは言え、歴史は裁判で決まるものではない。争いは終わらないのだろう。
大江氏の証言の衝撃
本書の背景は以上のとおりであり、重要なのはその部分である。しかし、ここで取り上げたいのは、本筋から少し離れた別のところにある。それは、大江氏が自著について訴訟中に述べた事柄についてである。
この裁判では、「沖縄ノート」の記述が問題になっていたのだから、著者である大江氏は、それについて自ら法廷で証言している。本書には、法廷での証言そのものは入っていないが、それに先立つ陳述書が採録されている。その内容が凄いのだ。
証言の年は2007年、「沖縄ノート」の出版は1970年、実に40年近くが経過している。にもかかわらず、まるで昨日書いたもののように、文章の一つ一つに対して、それは何を述べたものなのか、そのように書いた根拠は何なのか、そのような表現をとったのはなぜなのか、その表現に至るまでどのような思考の経過を辿ったのか、といったことが克明に語られるのだ。
例えば、「集団自決」の強制によって引き起こされた「あまりに巨きい罪の巨塊」、戦後25年が経ってからなされた「屠殺者と生き残りの犠牲者の再会」、「集団自決」の強制の将来における再現を防ごうと著者が想像する架空の「沖縄法廷」など。
一言一句の自己吟味
もちろん、訴訟での証言だから当時の資料なども参照しながら後付けで理屈を付けた部分もあるだろう。大江氏独特の晦渋な文章の、著者自身による解説という趣もないわけではない。それでも、文章や語句の一つ一つが、40年近く経ってからの徹底した自己吟味に耐えられるということ自体に、脱帽させられる。
管理人も、文筆業ではないが文章を書くことが仕事の一部となっている。自分なりに納得のいく文章を書くために、一つの文章、一つの語句について、何時間も考えあぐねることがある。それでも、何十年も経ってから、この文章の意義を再構成せよ、と言われて出来る自信はない。
記録・沖縄「集団自決」裁判
岩波書店 編
岩波書店
沖縄ノート
大江 健三郎 著
岩波書店









