版画のオリジナリティとは『広重「東海道五十三次」の秘密』
浮世絵版画「東海道五十三次」と言えば、歌川広重の代表作、自身が京都御所への公式派遣団の一人として東海道を旅した時のスケッチを基に1833年に制作された、というのが定説である。これに対し、本書『広重「東海道五十三次」の秘密』は、驚きの新説を持ち出す。「五十三次」は、1818年に死去した洋風画の巨匠である司馬江漢が描いた風景絵を基に制作されたもの、と言うのだ。実のところ、広重は実際には東海道を旅していない、というところまでは事実らしい。
著者は、問題の江漢の絵が展示されている伊豆高原美術館(休館中らしい)の館長。管理人もたまたまこの美術館を訪れた時、初めてこの新説を知ったのだが、かなり驚いた。広重と言えば、オリジナリティの塊のような版画家ではないか。本当なのだろうかと。しかし、広重の版画と江漢の絵を見比べる限り、あまりに似すぎていて、それぞれが独立に制作されたものとは到底考えられない。
江漢説の真偽と根拠
実際にこの新説が正しいのかどうか、判断はつきかねる。この説が出てから既に20年以上も経っているが、現在でも異説という扱いのままである。端的に、江漢の絵は贋作だと見られているようである。しかし、問題の絵を江漢本人が書いたかどうかは、実は重要ではない。「五十三次」より前に描かれていれば、江漢の名を騙ったものであっても、広重の元絵にはなり得る。問題は「五十三次」より後に、それを見て描いたということがあり得るかだ。この点について、本書では、なかなか説得力のある議論が展開されている。
例えば、浜名湖の「荒井」。江漢の絵は、双胴船(二艘立ての船)が幕でつながれた様子が描かれているのだが、広重の版画の方は、双胴船というものが分からなかったのか、手前の船の筵に不自然に隠されていて一艘なのか二艘なのかも判然としない。ハッキリ描かれているものをボカすことはあり得るが、判然としないものを(現物どおりに)描き分けるのはまず無理だ。雪景色で有名な「蒲原」も、江漢の絵では背景に実在の山が描かれているが、広重の版画にはない。描かれているものを削るのは簡単だが、無いものを(実景どおりに)付け加えるというのは、ほぼ不可能である。
他に目を転じても、江漢の絵は写実的で詳細であるのに対して、広重の版画は単純化あるいはデザイン化されており、やはり江漢の絵から広重の版画が作られたという方向に思えてくる。逆だとすれば、贋作であっても(これは本書でいろいろ検討されている)、贋作でなくても(例えば、広重ファンの画家が聖地巡礼のごとく「五十三次」の現地に赴いて同じ構図で絵を描いたところ、別の誰かが江漢の署名を加えた)、「宮」や「京師」のような構図の異なる絵は描かなかったはずだ。
広重のオリジナリティとは
もし、この新説が正しいのだとすれば、広重のオリジナリティはずいぶんと損なわれることになってしまいそうだ。新説が振るわないのも、そこに一つの原因があるのだろう。しかし、本書は、広重のオリジナリティは大胆な省略を施したアレンジの能力にある、と言う。管理人はそこまで割り切れないのだが、確かに、版画のオリジナリティとして、題材やモチーフをそれほど重視すべきではないのかも知れない。実際、江漢の絵は端正で、専門的に見れば相当に高い技術レベルにあるらしいが、素人にまで訴えかける迫力には欠ける憾みがある。それが、広重の手にかかると、同じ題材なのにまったくの「広重ワールド」に変貌を遂げている。
素人考察するなら、例えば、「奥津」や「水口」。前者の川渡し、後者の干瓢造りの人物は実際より目立つようデフォルメされている。しかし、これはむしろ人間が見た感覚に近い。こういう場面を例えば写真で撮ろうとすると、注目している対象が小さくなって背景に埋没してしまう。ズームで寄れば大きくはなるが、現場がどこか分からなくなって、ただの人物スナップになってしまう。広重の版画は、「広い風景の中の気になるアクセント」を見事に捉えている。題材の選択はさておき、広重のセンスはこんなところにも現れている。
広重「東海道五十三次」の秘密 新発見、その元絵は司馬江漢だった
對中 如雲 著
祥伝社(NON・BOOK)
本書は絶版となってしまったが、同じ著者による同じテーマの新著『司馬江漢「東海道五十三次」の真実』(祥伝社)が出ている。









