改憲と第9条をめぐる不幸『50年前の憲法大論争』
本書『50年前の憲法大論争』は、1956年に開かれた衆議院の公聴会で、「憲法調査会法案について」なされた喧々諤々の議論の記録を編集したものである。これを読む限り、当時は少なくとも、近年行われている改憲の議論よりも内実のある議論がなされていたようである。と言うより、近年は議論そのものが成立せず、袋小路に陥っているというのが実情だろう。
憲法改正の「ねじれ現象」
考えてみれば、保守派が憲法改正を悲願とし、左派が改憲に消極的、さらには改憲のための議論そのものを忌避するような動きがあるというのは、大きな「ねじれ現象」である。国の根本法である憲法は古くからの社会常識が反映されたもので、法律の中では最も保守的であるのが普通である。だから、左派が進歩的リベラルの思想をもって改憲しようとし、保守派がこれに抵抗する、というのが定番の構図のはずである。
ところが日本の場合、GHQによる戦後占領政策のために、いきなり超進歩的な憲法が与えられてしまった。しかも、その中核の一つである第9条は、戦争そのものの放棄を宣言する(どの範囲で放棄しているのかについては争いがあるものの)という、世界でも類を見ないものとなった。果たしてこれが現実的なのかどうかは怪しいところもあるが、ともかく左派は徹底抗戦でこれを守ろうとした。これがねじれに拍車をかけた。
改憲派の「押し付け憲法」論
保守派が改憲を持ち出す際、現憲法がGHQからの「押し付け憲法」であることを理由の一つに挙げるのが常である。しかし、実際のところ現憲法は、閣内でも帝国議会でもそれなりの議論を経て、少なくない条文が修正されたうえで成立している。これは事実である。本書の議論に見られるように、袋小路に入る前は、正面からの議論があった。その意味で、改憲反対派からの、「押し付け」というようなものではない、という主張にも一理ある。ただし、それで十分だったかのかどうかは別問題だ。
いわゆるマッカーサー草案は、専門家とは言いがたいGHQの起草チームがごく短期間で起草したものであった。君主主権の明治憲法しか知らなかった当時の日本人にはその超進歩的な草案は十分に咀嚼できなかっただろうこと、日本側で修正しようとすればGHQとの「調整」が必要だったことなども考えれば、現憲法の出自が普通でなかったことは認めざるを得ない。そこに日本人の意思が十分に反映されていたのかどうかは疑わしい。その後、何十年も改正されていない事実はあるが、そもそも議論していないのだから、それが意味するのは定着というより惰性だろう。
70年間の不幸
国の根本法である憲法は、通常の法律のように単純多数でコロコロ変えられるようなものではなく、容易には改正することのできない硬性憲法である方が良い。しかし、現憲法は、そうやって慎重なプロセスでしか変えられないほどの慎重さを持って生まれたものでないことは確かだ。
改正するのか、しないのか、するとしてどう改正するのか。それにはさまざまな意見があって良い。しかし、肝心の第9条ですら条文として矛盾を抱えたままであるのに、成立後70年も経ちながら改憲の議論すらはばかられるような雰囲気があることは、不幸なことではないだろうか。
50年前の憲法大論争
保坂 正康 監修/解説
講談社(講談社現代新書)









