北朝鮮での数奇な日常『拉致と決断』

社会,ノンフィクション

 本書『拉致と決断』は、北朝鮮による拉致の被害者の一人である著者が、拉致から24年後に日本に帰国するまでの生活と思いを、帰国の10年後に著したものである。それだけの年月が「北朝鮮での24年間全体に真正面から向き合」うのに必要だったということだ。管理人は、数奇な運命のノンフィクションというような本を手に取ることが多い。しかし、本書は、数奇を何段階も超えており、また、ノンフィクションというような生易しいものでもない。
 帰国してかなりの期間が経過してからの執筆であるとはいえ、拉致問題は未だ解決を見ていない、現在進行形の事件である。帰国時の関係者とのやり取りなど、政治的な含みのある事柄については、必ずしも事実そのままの記載ではないのかも知れない。書けないことも相当にあったに違いない。ここでは、そうした扱いにくいところにはあえて触れず、管理人の目を惹いた2つのエピソードに注目したい。

北朝鮮でゴルフする

 一つは、ゴルフの話。著者は招待所生活の中で、翻訳や日本語教育という日常的な仕事があったほか、さまざまな行事や社会活動に動員されていたが、それなりの余暇はあったという。不足していたのは、体制的な締め付けの中で「政治色のない娯楽」であった。そこで著者は、手作りのクラブとボールを使い、舗装されていない坂道をコースとするゴルフ遊びを始めた。そして、「もしかして当地でゴルフをやったのは、私が初めてではないか」と想う。
 このゴルフは、かなり特異ではあるが、著者の言うとおり一種の娯楽ではある。しかし、勝手な解釈をするなら、二面の意味を持っていたように思う。一つは、特異な生活の中でも、何とか気晴らしをして、心が折れそうになるのを防ごうという努力。もう一つは、そうやって北朝鮮での生活の立て直しをすればするほど、北朝鮮に埋没していってしまうのではないかという不安。だからこそ、娯楽の中でも最も北朝鮮的ではないゴルフが無意識に選ばれた、と考えるのは穿ちすぎか。

思想統制をクリアする

 もう一つは、「生活総括」の話。「生活総括」とは、自らの一週間を批判的に振り返り、反省すべき点をノートに整理して指導員の前で発表する、という思想チェックの手段である。毎週違う自己批判のタネを見つけるのは厄介だが、だんだんとコツがつかめてくる。「学習」や「仕事」といったテーマ順に「大きなサイクルを決め、毎回その内容を少しづつ変えていく」。個々のテーマでは、前回の反省を踏まえて改善したところに新たな課題が見つかった、いうように「微に入り細にわたり展開していく」のだ。
 これも著者の書きぶりは淡々としたもので、後から振り返れば「その回数は千回を超えた。よくも続けたものだと今さらながら思う。」ということなのだが、実際はもっときわどい綱渡りをしていたのではなかろうか。異国での拉致という境遇にはあるものの、うまく順応し、危険人物と疑われるようなことがなければ、とにもかくにも生活は確保される。他方で、順応するのが異常であることに、目を瞑ることはできない。だから、順応されつつ拒否しつつ、当局に対しても自身に対してもポーズを作る。

拉致問題の解決に向けて

 著者が拉致されたのは1978年、帰国は2002年。その後、2012年の本書の出版から8年が経過しているが、拉致問題はいまだ解決の兆しを見せていない。兆しがないどころか、北朝鮮は解決しようという意志などまったくないかの如くである。そのような状況の中、米朝対話が少し進んだだけで、(経済開発の)バスに乗り遅れるな、などという空騒ぎが起こるのだから、情けなくなる。
 長引けば長引くほど、被害者本人をはじめ関係者の方々には、つらい思いを強いることになる。困難な状況になればなるほど、北朝鮮はこの自らの犯罪を交渉カードとして使ってくるだろう。一刻も早い解決を望みたい。


拉致と決断
蓮池 薫 著
新潮社

書評

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